伽藍の屋敷から戻ってきてから、幾日か経ったある日。
井戸に顔を洗いに行った帰り、妖ノ宮は庭で一人の赤月の男を見つけた。
額に槍を生やしたその男は、何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回している。
非常に怪しいその様子に、恐る恐る近寄ると、
足元の石が跳ねて、からんっと音を立てた。
「うあ!?」
「きゃあ?!」
それに驚いた男が叫び、妖ノ宮もつられて悲鳴を上げる。
そこで男は初めて妖ノ宮に気がつき、目を見開いてこちらを指差した。
「あ、アンタ、妖ノ宮だ!!」
……私は賞金首か何かですか。
物珍しさを隠そうともしない男の様子に、妖ノ宮はこめかみに指を当てた。
なんともいえない微妙な気持ちになっていると、
ふと男の姿に見覚えがあるのに気がつく。
よくよく男の顔を見ていると、波斯の森に行った際に
護衛としてついてきた男だと思い当たった。
「あなた、確か波斯の森についてきてくださった方ですね」
「え、覚えててくれたのか」
驚き、照れた様子の男に毒気を抜かれて、妖ノ宮は軽く息を吐いた。
そう素直にこられると、無礼に怒るのも馬鹿らしくなる。
「…こんなところできょろきょろと辺りを見回して、
どうなさったのです?何か探し物でも?」
「え、あ、いやぁ…」
歯切れの悪い返答に、妖ノ宮が目をきつくすると、男は慌てて首を振った。
「いやいや、そんなやましい事があるわけじゃなくって!
ちょっと道に迷っちまっただけだ!!」
きぱーんっと、そりゃあもうはっきりくっきり言い切った男に
妖ノ宮はしばらく硬直した後、え?と間抜けな声を漏らした。
「え、いや、ちょっと待ってください。あなた、赤月ですよね?」
「おう。俺は黒耀って言うんだ」
「あ、あぁ、そうですか。それはご丁寧に…じゃなく。
あなた赤月で、ここは赤月の本部でしょう。
なのに何故迷えるのです…」
赤月の隊員たちは、基本的にここから神流河の様々な場所へ、妖退治に出かけてゆく。
確かにこの本部は広大だが、ここは彼ら赤月たちにとって、住み慣れた家なのだ。
そこでどうして迷えるのだと、呆然としていると
目の前の黒耀は、困ったような照れ笑いを浮かべる。
「この庭デケェからつい、なぁ」
ついで迷えるものなのだろうか。
それよりかは、胡乱なことをしていたところを見つかっての
下手な言い訳であると考えるほうが、真実味はあるが…。
迷えるのかもしれない。
目の前の男を見ていると、不思議とそれが嘘ではなく、真実なのだと信じられた。
真実であったほうが駄目なのだということからは、なるだけ目をそらして、妖ノ宮は男に向かって頷く。
「そうなのですか。それは大変でしたね。
それで…あなたはどこに行きたいのですか?
おっしゃって頂ければ、案内できるかもしれません」
「…!姫様、アンタ良い人だな!!」
感極まったように言って、黒耀は妖ノ宮の両手をつかむと、上下に激しく振った。
「ちょっ」
「あ、場所か?場所は宇梶の部屋に行きたいんだ」
「宇梶?」
知らない名前に首を傾げる。
すると、黒耀はあからさまに肩を落とした。
「やっぱ知んねぇか。この槍だとか、武器の整備をしてくれるおっさんなんだけどよ
アンタには縁の無い奴だしな」
「すいません」
素直にしょげてくれるので、物凄くこちらが悪いことをしたような気分になって謝ると
黒耀はぶるぶると首を振った。
「いいや、アンタが謝ることねぇよ。迷った俺が悪いんだ」
それはそうなのだけど。
声をかけたのはこちらなのだから、何かをしてあげたい。
妖ノ宮がどうにかならないものかと考えているうちに、
うっしと、黒耀が自身に気合を入れる。
「壁伝いに歩いていけばどっかには着くって火斑の奴も言ってたし。
おっしゃあ今から出口探しだ!!」
「いやあの、ちょっとっ!!」
そりゃあ、壁を伝っていけば『どっか』には着くだろうが
それは全くもって根本的な解決にはなっていない。
大人しく誰か他の赤月の隊員に、その宇梶とやらの部屋を聞かないのか、この男。
誰かいないかと、妖ノ宮がきょろきょろとすると
丁度良く視界の端を仮面をかぶった赤月隊員が通りがかった。
「少し待っていて下さい!」
言い捨てて、赤月隊員の元へ走りより、彼の着物の袖を引っつかむ。
「すいませんあの、助けてください、迷子なんです」
「は?」
その年でか。
言葉でなく、空気で語られて、妖ノ宮は頬を赤くして否定する。
「いえあの、私じゃなく、あの人が!」
びっと、黒耀を指差すと、仮面は一瞬硬直した。
当然の男の反応に、妖ノ宮が視線をそらしていると
立ち直った仮面は、何やってんだあのボウズと口の中で呟き
黒耀のほうへ向かってつかつかと近づく。
「あ、」
仮面の男が近づいてくるのに気がつき、黒耀が振り向いたところで
仮面の男は拳骨を振り上げ、黒耀の頭を勢いよく殴りつけた。
「ってぇ?!何すんだ、宇梶!!」
「さんをつけろと言ってんだろうがぁ!」
あら当の本人と、己の運に感謝しながら、妖ノ宮が彼らに近づく。
その間に、ついでとばかりに黒耀を足蹴にして、宇梶は顎を撫でさすった。
「いくらここの庭がでってけぇっていってもだ、
おまえさん、ここに二年も三年も居んだろうが。何迷ってんだよ」
「いや、アンタの部屋に行こうと思ったんだけど…
死ぬほど機嫌の悪い夢路が廊下でうろうろしてたから、庭を突っ切ろうとしたら」
「うるさいなぁお前ら、何の騒ぎだよ」
噂をすれば、影がさす。
怒気を含んだ声が、庭に響きわたった。
ぜんまい人形のようにぎこちない動作で三人ともが、声のほうを見ると
そこには確かに黒耀の言う通りに、死ぬほど機嫌の悪い夢路が立っていた。
暗雲を背後に背負い、殺気を振り撒いている夢路は
ゆっくりと黒耀を、宇梶を、そして妖ノ宮を見た後、一歩三人に向かって近づく。
「なに、油売ってるんだ?黒耀、宇梶…お前ら、そんなに…暇なのか?」
ぞわっと、鳥肌が立った。
「僕は苛々してるんだよ」
また一歩、夢路が近づく。
「だからさ、あんまりこれ以上苛々させるようなことすると」
また、一歩。
「燃やすぞ、テメーら!!」
夢路が怒号を飛ばすと同時に、火炎が黒耀たちを襲った。
黒耀と宇梶と、同じような位置に居た妖ノ宮も一緒に。
まさしくとばっちりだ。
しかしそれでも炎は平等に迫りくる。
それを、つい反射的に自らの炎で払いのけて、妖ノ宮はしまったと後悔した。
大人しく避けていればよかった。今の夢路にこんな行動をしたら…。
恐る恐る夢路の顔を見ると、その瞳には獲物を見つけた獣の
楽しそうな光が浮かんでいた。
「…へぇ、お前も火を使うのかあ」
空気の温度が下がり、一際緊張を孕む。
妖ノ宮は自分が考えつく限り、一番最悪な行動をとったのだと悟った。
しかし、もはや後の祭り。
夢路は、鬱憤を晴らす先を見つけて、楽しそうに唇を歪めている。
そんな夢路に、炎を避けた黒耀も宇梶も、動けないように固まっていた。
そんな彼らに視線を一瞬移した瞬間に、特大の炎が妖ノ宮を襲う。
それを再び妖力を使い相殺させた妖ノ宮だったが、
爆散した赤の向こうに、手のひらをこちらに突き出した夢路の姿を捉えて顔を硬くした。
殺される。
頭の裏側がひやりと冷えた。
なぜかは知らないが、感情の制御が出来ないほどに苛ついた
今の夢路なら必要不必要など、関係なく殺す。
急いで妖力を集中させ、同じく手のひらに炎を生み、夢路にぶつける。
それを待っていた様に、夢路もまた生んだ炎を妖ノ宮にぶつけた。
二人の中心点で、炎と炎が衝突しあう。
激しい轟音があたりに轟き、火花が凄まじい勢いで辺りに撒き散らされた。
「へぇ」
「!!」
ぶつかり合う力の余波で、大気がびりびりと震える。
しかし力の差は歴然としていた。
あくまで涼しげな表情を浮かべている夢路に対し
時間が経つにつれ、妖ノ宮の表情には、徐々に苦悶の色が見え始める。
それは、二人の出す炎にも顕著に現れ始めた。
妖ノ宮の炎が段々と夢路のものに飲まれ始めたのだ。
「…っ…」
このままでは、確実に夢路の炎に舐め尽くされてしまう。
ジリ貧の状態で、じわじわと確実に追い詰められ、妖ノ宮はぎゅっと唇をかみ締めた。
そうする間にも、炎は炎に飲まれ、今まさに妖ノ宮の火が消え去ろうとしたその瞬間
一枚白い紙が、間に割って入り炎と炎の間で激しく爆発した。
それで生まれた衝撃波に飛ばされ、妖ノ宮の体は容易く空を舞い、地面に叩きつけられる。
「げふっけふっっ…」
石が腹に当たり咳き込む妖ノ宮だったが、もといた辺りから
激しい男女の口論が聞こえてくるのに、堪えて顔を上げる。
するとそこには、今にも怒りに燃えた夢路に燃やされてしまいそうな凪の姿があった。
「凪…何故邪魔をした」
「何故って、何言ってるんだい夢路。止めるに決まってるだろう」
「止める?だからなんで。別に燃やしたっていいだろ、妖混じりなんて」
睥睨する夢路に、凪は一瞬怯んだ後、
思い直すように両手を組み夢路に食って掛かった。
「何を馬鹿なことを言ってんだ。夢路、その子は『必要』なんだろ?
アンタのどうしてもやりたいことに。
それなのに殺してどうすんだい。馬鹿はおよし!」
強い口調で凪に窘められた夢路は、転がった妖ノ宮の姿を見て、
舌打ちし、殺気を撒き散らしながらも、無言で踵を返した。
それとは別方向に凪も去る。
それにほうっと息を吐いて、宇梶と黒耀が慌てて妖ノ宮に近づく。
すると妖ノ宮は、彼らが彼女を助け起こす前に自力で立ち上がり、
服についた砂を手で払った。
「大丈夫か」
言われて、初めて妖ノ宮は手足が鈍く痛むことに気がついた。
それだけではない。
口の中を切ったらしく、鉄錆びの味が口の中に広がっている。
激しく切っているらしく、手足よりもよほど口内が痛かった。
「腕や足も痛いですが、口の中が………」
喋っているうちに、口の中から溢れた血が、端から零れ地面に落ちる。
あら、と無感動に拳で口元を拭った妖ノ宮に、
宇梶は袂から懐紙を取り出して渡した。
それを手のひらで握りつぶすと、妖ノ宮は懐紙を口の中に放り込み、血を吸わせる。
「内臓は無事そうか?」
「…多分」
嫌なことを聞く。
思わず腹部を撫でさすっていると、黒耀があからさまにしょげているのに気がついた。
「…黒耀?」
「すまねぇ姫様、俺のせいで…俺が迷子になってなきゃ…」
「あなたのせいじゃありませんよ。夢路のせいです」
名指しした妖ノ宮に、苦笑の気配を漂わせながら宇梶が口を開く。
「まぁ、最近あからさまに機嫌がわりいからなぁ」
今度は帯に挟んだ煙管入れから煙管を取り出した宇梶の言葉に、妖ノ宮は首を傾げた。
「最近は、いつもあんな?」
「そういや、最近オマエさんは会ってないな。
近頃とみに機嫌が悪くて、近寄ればあんななのさ。
…ま、隊員たちを別のことに使ってるからな。
余計な雑務もたまってるし、村人からの妖退治の依頼も止まるわけじゃねぇ。
その分は全部、夢路行きになってる。だからぴりぴりしてんのさ。」
「そうだな、夢路、面倒なの嫌いだもんな」
うんうんと黒耀が頷く。
それで済ませられるんだから、凄いわよねと
どこか感動の気持ちを持って赤月隊員たちを眺めていた妖ノ宮だったが
自分の着物に煤がついているのを見つけて顔をしかめた。
お気に入りの赤い着物なのに。
ひょっとしたら、怪我をしたことよりもこちらの方が腹立たしいかもしれない。
汚れが染み付いたりはしないだろうなと、叩いて煤を取っていると
黒耀が妖ノ宮に話しかける。
「そういや姫様、アンタ凄いんだな」
「え?」
「いや、あの炎だよ」
言われてあぁっと、曖昧に言葉を濁す。
褒められて悪い気はしないが、夢路にいいように甚振られた後だ。
どう返せばいいのか、妖ノ宮には分からなかった。
「いえ…夢路の方が凄いんじゃないかしら」
仕方が無いので、渋々夢路のことを引き合いに出して
場を切り抜けようとすると、宇梶がゆっくり首を振った。
「そりゃ、仕方ない」
出していた煙管に火をつけ、器用に仮面をつけたまま煙草を吸った宇梶は
ふわぁと隙間から煙をくゆらせる。
「アイツが本気になったなら、誰だって勝てる奴はいない。
だからこその赤月の長、紅蓮の夢路だ」
力をぶつかり合わせた今となっては、その言葉を否定することは難しい。
五光夢路という人間の力の強大さは、身にしみて良く分かった。
「獅子が猫を弄ぶような力の差でしたね」
今度は素直に認めてため息をつく。
正直、あそこまであっさりとやられると矜持が傷つく。
ひそかに火遊びの練習でもしようかと、冗談交じりに妖ノ宮が考えていると
宇梶の仮面がこちらを向いた。
「そういえば、オメーさん、妖の力を使うときに、目が金色になるんだな」
「え?」
何気なく振られた話題に、妖ノ宮は首をかしげた。
「金色?」
「なんだ、自分じゃ知らなかったのか?
半妖は力を使うたびに身も心も妖に近づく。オメーさんの場合はそれが目に出てんだろ」
「力を使うたび、妖に…?」
思わず目を押さえる。
そんなこと知らなかった。
どれぐらい、妖力を使ってきたのだったか。
動揺している妖ノ宮に、宇梶はカカと笑った。
「何だそれも知らなかったのか。なに、そんなに使わなきゃいいだけの話だ。
…そうだろ?」
きつい視線を送られて、妖ノ宮は真っ白になった頭で、こくりと頷いた。
「火斑!鍵はまだ見つからないのかい?!」
夢路を諌めた凪は、赤月隊員である火斑の部屋に飛び込んだ。
夢路が苛ついているのは、なにも仕事が彼に集中しているからだけではない。
鍵の探索が遅々として進まないことが、その要因の大部分を占めていた。
そして鍵の探索は、火斑の役割である。
どうにか鍵が見つかってはいないものかと、飛び込んだ先で凪を向かえたのは
肩をすくめた火斑の姿だった。
「入って来るなりそれですか。夢路といい、あなたといい
従姉同士というのは良く似るものなのか…」
涼しげな顔で、火斑が呟く。
それが妙に癇に障って、凪は更に声を荒げた。
「入るなりじゃないよ!夢路の奴が、もういい加減限界なのさ。
このまんまじゃ妖ノ宮を殺しかねないよ。
そうなったら、今までの苦労が全部水の泡だ」
「そうですね、もう鍵を探し始めて長いことが経ちますから。
彼にしてみたら、よく我慢している方ですね」
「他人事みたいな言い方しないどくれ!」
苛々と髪をかきむしる凪を、妙に冷めた目で見ると
火斑はおもむろに懐に手を突っ込み、一枚の符を取り出した。
「…ここで、計画を放棄という事態になっても困ります。
とりあえず、これでも夢路に渡していてください」
「………これは?」
「探させている奴らからの、手がかりの報告の鳥です」
「そんなものがあるんなら、早く出しとくれ…」
疲れきった声で言うと、凪は大きく息を吐き、顔を上げる。
「……計画には、労力がかかってるんだ。
今更途中止めなんて真似は出来ないんだからね」
きっぱりと凪が言う。
夢路の言い出したとある計画には、莫大な金と、労力がかかっている。
組織として、そうまでしたものを、必要なものを殺したから無しになりました
だなんて真似は出来ない。
それがいくら、妖退治だけを見ている赤月であっても
守るべき規律は存在するのだ。
計画が終わるまでこの苦労が続くのかと、思わずため息をついてしまいそうになる凪に
火斑は出した符を押し付けると、彼女に向かって手を振り追い払う真似をした。
「いつまでそこにいるつもりです?さっさと持っていかないと、手遅れになるかもしれませんよ」
それに凪ははっと目を見開き、挨拶もそこそこに夢路の部屋へ向かって駆け出してゆく。
それを見届けてから、火斑はふっと息を吐いた。
「………計画を放棄ですって…?そんなこと、私もさせはしませんよ。凪」
夢路の計画は、火斑にとっても必要なものなのだ。
無しになどさせない、絶対にさせない。
たとえ、どんな手段を使ったとしても。
固く目を閉じる。
自分を呼ぶ、遠く遠い誰かの、懐かしい声が聞こえた気がした。
夢路ルートで宇梶が何で出てるんだって?趣味です。