赤い着物を着た少女が、自分にもたれかかっている。
これは誰だろう。
はっきりとしない意識で、彼女を見ていた妖ノ宮は
やがて目の前の少女が、自分にそっくりであることに気がついた。
黒く長い髪も、頭の横でくくった飾り紐も、赤い着物も何もかも同じ。
ただ、顔だけが伏せられていて見えない。
『ねぇ、私』
吐息がかかりそうな距離で、そっくりな少女が笑う。
「わた、し?」
『そう、私はあなた、あなたは私』
ゆるゆると、少女の顔が上がる。
鼻まであらわになった彼女の顔は、確かに自分そっくりであったが…。
もっとよく見ようと覗き込んだ妖ノ宮の頬が、少女の両手で軽く挟まれた。
『ねぇ、私…代わりましょう?』
「…え?」
『もう疲れてしまったでしょう?飽いてしまったでしょう?
だから、代わりましょう』
大 丈 夫
『私なら、もっと上手くやるから』
にぃっと、目の前の唇がつり上がり、隙間が無いほどに距離が埋められる。
見てはいけないと、頭の奥で警鐘が鳴るのも間に合わず、
合わせられた彼女の瞳は、金色にぬらぬらと光っていた。










「っ!!!!」
声にならない悲鳴を上げて、妖ノ宮は布団から飛び起きた。
口元を押さえて、荒い息を静める。
今のは夢だ、ただの夢。
言い聞かせてみるが、こみ上げてくる恐怖を騙すことは出来なかった。
半妖は、力を使うたびに妖に近づく。
宇梶の言った言葉は、妖ノ宮自身でさえ思いもよらなかったほど
彼女に衝撃と恐怖を与えた。
半妖とはいっても、人に交じり人の中でしか生きたことの無い
妖ノ宮にとっては、妖に近づくというのは、恐ろしいことでしかない。
妹と、兄と、弟と、ますます違うモノになるというのは。
唇を噛んだ妖ノ宮だったが、ふと部屋の外の廊下から
声が聞こえてくることに気がつき顔を上げる。
戸に這いよって聞き耳を立てると、切れ切れに会話が聞こえてきた。
「…準備…る…」
「万全……つでも……」
耳を澄ませ聞き取れた、途切れ途切れの会話を繋ぎ合わせると
どうも夢路が急にどこかに出向くことにしたらしい。
少し長い散歩と外の者達は言っていたから、しばらくは顔をあわせなくて良いようだ。
妖ノ宮は、ほぅっと息を吐くと、まだ温もっている布団に入りなおす。
もう一度あの夢を見ないだろうかと、一瞬頭を掠めたが
その前にどろりとした眠気が襲い、妖ノ宮を眠りの世界に引きずり込んだ。









…だというのに、どうして私はこんなところにいるのかしら。
薄暗く狭い場所で目を覚ました妖ノ宮は、重々しいため息をついた。
大勢の足音から推測するに、どうやら駕籠に乗せられ外にいるらしいが…。
「ひょっとして夢路と一緒に私も外出するんだったのかしら…」
起きておくんだったと、悔恨の念に駆られてももう遅い。
とりあえず状況だけでも確認しておこうと、
駕籠の垂れから顔を覗かせると、駕籠を運んでいた赤月のものと目が合った。
「おはようございます」
「ん、目が覚めたのか妖ノ宮」
「えぇ…あの、どこに向かっているのかお聞きしてもよろしい?」
問うと、赤月のものは首を傾げる。
「さぁなぁ。どっちかって言えば東だけど。名前も無いような山だからなぁ」
「そんなところでいったい何を」
「さぁ。夢路様の計画に必要らしいけど」
「計画?」
オウム返しに問うと、赤月のものは被った仮面の向こうで慌てたようだった。
動揺で手でも滑ったのか、駕籠ががくんと揺れる。
「きゃ?!」
「あ、悪い。でも聞かないでくれ。俺、燃やされたくないよ」
口を滑らせたのをまずいと思っているのか、
赤月は困り果てた様子で妖ノ宮に嘆願した。
その哀れっぽい様子に妖ノ宮は眉をはの字にして、
駕籠から顔を出して前後を確認する。
すると少し離れた前方に、夢路の後姿を発見して肩をすくめた。
「分かりました、大人しくしています」
目の前で人が燃やされるような場面が、見たいわけではない。
駕籠の奥に引っ込むと、赤月がありがたいと感謝の言葉を述べる。
それに言葉を返さずに、妖ノ宮は揺れに体を任せて、瞼を閉じた。

もう一度目が覚めたときには、目的地に着いた後だった。
駕籠が乱雑に地面に置かれた衝撃で目を覚ました妖ノ宮は、垂れを上げ辺りを見渡した。
どうやら山の山頂らしい。
そういえば名前も無い山が目的地だといっていたと、朝の赤月隊員との会話を思い出していると
後方で、ざっざという足音が鳴り響いた。
外に這い出てそちらを見ると、丁度赤月の隊員たちが山を下ってゆく。
「あいつらは中腹まで下がらせる。邪魔だからな」
真横から聞こえた声に、今度はそちらへ視線を向けると
並び立っていた夢路が顎をしゃくって指図する。
それに従って着いていくと、夢路は山の切れ目の手前で腰を下ろした。
同じように少し間を空けて腰を下ろすと、夢路は妖ノ宮の方を見ないまま口を開く。
「しばらく待つぞ」
頷いて、上を見上げる。
空は薄暗く曇りがちで、長い時間を屋外で過ごすには良さそうな天気だった。
隣を見る。
…今日は機嫌が悪くは無いらしい。
苛ついた様子も無く、ただいずこかを夢路は眺めている。
良かったと、胸をなでおろして、妖ノ宮は山の彼方へ視線を移した。




眠たい。
欠伸をかみ殺して、妖ノ宮は夜の空を眺めた。
夜の黒い闇に、美しい星星がきらきらと光っている。
昼前頃から、もう何刻ここにいることになるのだろう。
「随分と待たせやがるな…」
ぽつりと、横で夢路が呟いたのに、何を待っているかは知らないが全くだと同意する。
本当、もうそろそろ来ては貰えないだろうか。
もう暇すぎて、眠気がこらえられなくなってきている。
このままでは座ったまま寝てしまいそうだ。
暇つぶしに筆談を試みようかとも思ったが、この薄明かりの中では
半紙に書かれた文字など読めるはずも無い。
喋れない不便さをしみじみと噛み締めていると、
眠気の波が襲ってきて、妖ノ宮はふぁあと、欠伸を漏らす。
急にきたものだから、噛み殺せず随分と大口でしてしまった。
見ていないわよね?とそっぽを向いていたはずの夢路を見ると
彼は呆れた顔をしてしっかりこちらを見ていた。
「…でっかい口だな」
しみじみと言われて、妖ノ宮は穴があったら入ってしまいたい気持ちになる。
普段は興味なく視界から排除しているくせに、こんなときばかりこちらを見なくたって。
「まったく、変な奴だなお前」
珍しい生き物を観察するような顔をして、夢路がぽつりと言った。
「この間殺しかけたのに、平然とした顔で横にいるし、
怯えないし、泣かないし…我慢してんの?」
心底不思議そうな様子で言った夢路に、首を横に振って否定する。
そういった意味では、我慢など一欠けらもしていなかった。
何故殴られたり蹴られたり燃やされかけたりして、腹立たしく思いはしても
泣いたり怯えたりしないといけないのか、理解が出来ない。
それをしたら、状況が変わってくれるというのならやってもいいけれど。
妖ノ宮は、否定してもまだ不思議そうにしている夢路に、唇を尖らせると彼の手をとった。
「おい?」
声を無視して、空いているもう片方の手で、とった夢路の手を開かせ、その掌に指で字を書く。
「ひ、つ、よ、う、あ、り、ま、せ、ん
あ、な、た、な、ん、て、こ、わ、く、な、い?
……はっ言うね、お前」
機嫌が上向いたのを感じて顔を上げると、夢路はまっすぐに妖ノ宮を見ていた。
その目には面白そうな光が宿っていて、妖ノ宮は首を傾げる。
『そ、う、で、す、か?』
「凪でさえ、僕と言い争うときには燃やされないか怯えるんだ。変だよ」
どことなく嬉しげに言うと、夢路は天に顔を向けた後、妖ノ宮に視線を戻した。
「まだ、来そうに無いからな…暇つぶしに、お前に何をするのか
少しだけ教えてやろうか」
願っても無い申し出に、妖ノ宮は急いで頷く。
「ふぅん…やっぱ気になるんだ?
……とてもいいことさ。正義と、僕にとってね」
正義?
彼にとっての正義とは、覇乱王神流河正義しかいないだろう。
だが、死んだものにとって、何が良いことになるのか。
言葉の意味がわからず首を傾げる妖ノ宮の顎を
指で持ち上げると夢路はうっそりと笑った。
「なに、子供なんていうのは親の道具なんだ。
お前は黙って言う通りに、人形らしくしていれば良い」
眉をしかめ、否定の意を示すと、夢路もまた首を振る。
「道具さ。事実、僕の親は僕に類まれなる火術の才能があると知ると
有為吟帝に僕を売った。奴らは僕が怖かった。だから売った。
そして手にした金を持ってどこかに消えた。これが道具じゃなくてなんだって言うんだ?」
「………」
全ての親がそういう親なわけではないと思う。
だけれど、それを彼に告げてどうするというのか。
他がどうであれ、彼にとっての親は、彼自身を売り払った親しかいないのに。
妖ノ宮の父が、最後まで彼女や長兄以外の他の兄弟を省みることの無かった覇乱王でしかないのと同じように。
妖ノ宮が黙っていると、夢路が空を見上げ、ふと表情を緩めた。
「…ほら、来たぞ」
夢路がそういった瞬間に、辺りが激しく明滅した。
上を見上げた妖ノ宮は、驚愕に目を見開く。
星が空にあった。
いや、星ではないのだろう。
星にしては、妖ノ宮との距離が近すぎる。
それは、手を伸ばせば届きそうな位置で光り輝いていた。
それでも思わず立ち上がって手を伸ばすが、星に似た光は、妖ノ宮の手をするりとすり抜けてしまう。
「……」
「そんな風にしても触れるもんじゃねぇよ。
ほら、僕がやっても駄目だ」
同じように夢路が立ち上がって、光を捕まえようとするが
やはり光は彼の手をすり抜けて、空でピカピカと光っている。
触れそうなのに。
ひどく残念な気持ちになって光を眺めていると、急に体が持ち上がって、光が近くなる。
「△○☆!」
夢路に担ぎ上げられたのだと気がついた妖ノ宮は、驚きのあまり声を漏らしそうになったが、
その前にいくらかの光が妖ノ宮に向かって降りてきた。
「☆△○?」
ふわふわと光は、妖ノ宮の周りを浮遊しながら彼女に近づき、また離れる。
「ははは!話には聞いていたが、意味わかんないな、ほんと」
笑い声を立てる夢路の顔を、肩をつかんで覗き込み
懸命に光を指差すと、夢路は妖ノ宮を持ちなおしながら答えた。
「妖だよ。高山に住む猟師や山師しか知らない希少な妖さ。
似せ星って、奴らは呼んでるらしいけどな」
指先に、ちょんっと似せ星が触れる。
つつき返すと似せ星はゆらゆらと揺らめいて、また妖ノ宮にちょんと触れた。
その生き物らしい行動に、本当に妖なのだと目を瞬かせていると
おいおいと夢路が声を上げる。
「そいつらはそんなだが、知能もあるし妖力も強い。
空のオロチ『雲流王』の夢が、自然力と干渉してこいつらになってるなんて話もあるんだぜ。
あんまり馬鹿みたいに遊ぶなよ」
その言葉に驚いて似せ星達を見ると、まるで肯定するようにふわふわと揺れた。
そこで初めて、妖ノ宮は自分達の周りを似せ星が取り囲んでいることに気がついた。
まるで昼間のように、妖ノ宮と夢路の周りだけが明るい。
「そろそろいいか」
その様子に夢路が呟き、急に背後の草むらに投げ出される。
鈍い衝撃が背中に走り、地面の臭いが鼻を掠めた。
「……っ…」
「さぁ、似せ星たちよ!」
夢路が赤い炎を掌に浮かべ、似せ星たちの中心で叫ぶ。
「この夢路の焔に焼き尽くされたくなければ、その妖力を寄越せ!
いくらお前らだって、僕のこの焔には勝てない。わかるだろ?」
夢路の浮かべた焔が強まる。
それに似せ星たちは、一瞬動きを止めた後
誘蛾灯に群がる虫のように、夢路の周りを飛び始めた。
そのうちに、似せ星のうちの一匹が夢路の胸に触れる。
すると似せ星の光はゆっくりと弱まり、夢路の中に溶け込むように消える。
続いて、一匹また一匹と似せ星は消えうせ、やがて夢路一人だけがその場に残った。
「はははは!体内に力は溶けた。交渉は成功だ!これで、やっと、願いに一歩近づいた…!」
月と星の光の下、夢路が笑う。
確かに、もともと強大であった力が更に増したのを感じる。
だというのに、その様がなぜか道化のように見えて、妖ノ宮は近づくことも出来ず、ただそれを眺め続けた。