「おやミヤ、今から散歩かい?」
本日は晴天なり。
部屋に篭もってばかりいると、気分がくさくさすると
無理やりに外に出た妖ノ宮を迎えたのは、外出支度をした凪と黒耀の二人組みだった。
「…二人とも今からお仕事?」
「あぁ、そうだぜ姫様。なぁに姐さんとの仕事だ。
ぱーとやって、パーっとすんじまうに決まってる!」
「何バカ言ってんだい!緊張感を持ちな!じゃないと死んじまうよ」
叱咤した凪に、黒耀はぱぁっと顔を輝かせた。
「姐さん、心配してくれてるんスね!やっぱ優しい!」
「だ、も、バカ言ってないでって何回言わすんだい!!」
耳を微かに赤くして怒鳴る凪と、嬉しそうに顔をにやけさせる黒耀。
あらわかりやすいと、微笑ましい視線を向けていた妖ノ宮に
黒耀を片手で押さえつけた凪が、じゃっと片手を挙げた。
「すぐに戻ってくるけど、行って来るよ」
「いってらっしゃい。気をつけて下さいね」
「おう!」
手を振って、二人を見送る。
その姿が見えなくなって、さて散歩に戻ろうかと足を進めかけたそのとき
廊下の向こうから、激しい足音がこちらに向かってやってくる。
その足音の主は、妖ノ宮の前方の廊下の角から現れると、
妖ノ宮の肩をつかんで揺さぶった。
「あ、妖ノ宮、凪姐さん見なかったか?!」
「え、あ、な、凪ならさっき妖退治に出て行きましたけれど…」
「あ、あぁー!!!遅かった!」
足音の主である赤月の男は、床に崩れ落ちて頭を抱える。
仮面の下に隠れて表情が見えないせいで、その姿は妙に面白く妖ノ宮はそっと目をそらした。
「…どうかなさったのですか?」
それじゃあこれでと、立ち去るわけにも行かず
目をそらしたまま問いかけると、仮面は妖ノ宮の足元に縋りつく。
「あの」
「そうだ、あんたがいる!」
突然叫んだ仮面に、妖ノ宮は体をびくつかせた。
いきなり叫ばないで欲しい、怖い。
しかし仮面は、そんな妖ノ宮に構わず、手に持っていた包みを妖ノ宮の胸元に押し付けた。
「え、なんです、これ」
それは茶色い簡素な布切れが巻かれていて、持つとかさりと軽い音を立てる。
しかしそれに反して、押し付けられたものは結構な重量があった。
なにせ妖ノ宮の人差し指の高さほども厚みがあるのだから、当然といえば当然だが。
「何って、書状だよ、書状。最近は機嫌が上向いてるけど
夢路様持っていくとやっぱり怒るんだよ。
時々燃やされるんだぜ、俺ら」
「それは…ご愁傷様です」
なんとも言いようが無く、ありきたりな慰めの言葉をかけると
仮面はだろっと明るく頷く。
彼はそのままうんうんと頷いていたかと思うと、じゃ、と軽く妖ノ宮の肩を叩いて踵を返した。
「…ちょっと、これ、どうするんです」
「だから、頼んだよ、妖ノ宮。夢路様のところまで届けてくれ。凪姐さんがいない今あんただけが頼りだ」
「凪が帰ってくるまで待てばいいでしょう」
「それじゃ遅いんだよ。大丈夫、今なら多分いないから」
頼んだぜ、と言い捨てて仮面は走り去っていった。
それを止められず、その場に一人残された妖ノ宮は、手に持った茶色の塊を見る。
捨てちゃあ、駄目かしら。
頭の中に、抗いがたい誘惑が浮かんだものの、それを振り切って妖ノ宮は眉間に縦皺を寄せた。
「結局、そういうことは出来ないのよね…」
こういうときは、真面目な自分の性が恨めしい。
妖ノ宮はとぼとぼと、茶色の包みを持ったまま夢路の部屋へ歩き始めた。
とんとんと、軽く戸を叩くと入れよと男の声がした。
居ないと言ったのに。
逃げた仮面に頭の中で文句をぶつけ、妖ノ宮は仕方なく戸を開いた。
「…………何か用か」
戸を開けたのが妖ノ宮だと分かると、夢路は少し驚いた風だった。
それにちょっとだけ溜飲を下げて、妖ノ宮は夢路に茶色の包みを差し出す。
「何だよ、毒か?」
失礼なことを言いつつ、夢路は包みを解き、そのまま硬直した。
覗き込んで、ついでに妖ノ宮も硬直する。
中身は知っていたが、それでも結構な高さ、しかも圧縮され押しつぶされた
書状の山々というのは、えもいわれぬ衝撃がある。
これを処理するのか可哀想にと、さすがに夢路に同情の念を抱いた妖ノ宮は
彼の方に目をやり、更に衝撃的な光景を目にした。
夢路の後ろの机の上には、さらに目の前の圧縮書状の山を
三つも四つも積み重ねたような高さの代物が、いくつも並んでいた。
しかもそれだけではない。机の横には処理済と思しき山が
山脈のように連なっている。
「……………」
「……………」
しばらくの間、二人は微動だにせずにその状態のまま過ごしていたが
とうとう夢路が、
「だるいんだよ!!!」
っと声を上げて床に倒れこむ。
さもありなん。
この間仕事が夢路に集中していると、宇梶と黒耀が行っていたが
まさかこれほどのものとは。
そりゃあ、苛々もする。他人が暇そうに油を売ってたら殺したくもなる。
なんだか涙が出そうになって、妖ノ宮は目頭を押さえると
帯に挟んだ筆と半紙を取り、つらつらと問いかけの文字を書く。
『夢路、他に人は』
「いたら、僕がこんなことしてるわけねぇだろ」
その言葉に、それはそうだと納得する。
どう見ても、机仕事が好きそうには見えない。
それなのに、何故そこまでして人員を割いているのか。
考えていると、夢路は倒れこんだ体をごろりと返し、
完全に昼寝でもするような体勢をとった。
「わけのわかんないのと、妖退治の依頼は混ざってるし
やってもやっても減らないし…あぁもう、めんどくせぇ、寝る!」
『この山、机の上に置いておきますよ』
袖を引っ張って、そう書いた紙を目の前にひらつかせると、
夢路はこめかみを引きつらせて、妖ノ宮が持った紙を払う。
「置くな!燃やすぞ」
『そうは言われても、どうしろというんです』
「知るか」
夢路は吐き捨てて元の体勢に戻り、瞼を閉じる。
それに慌てた妖ノ宮だったが、もはやてこでも起きないとでも言うように
夢路が顔をうつぶせたので、そばに置いたままの山を見た。
でんっと、重量感溢れる姿で鎮座ましましたそれは、見ているだけでげんなりしてくる。
「………もう…」
思わず非難の声をあげてしまったが、夢路は早々に眠りの世界に入ったようで燃やされはしなかった。
さてそれにしても、だ。
この書状の山をどうしようか。置いて帰っても勿論いいのだが。
……正直な話をすると、妖ノ宮は夢路が好きではない。
かといって、嫌いなわけでもないが、そんな人間のために頼まれたのでもないのに
おせっかいを焼く趣味は妖ノ宮は持ち合わせてはいない。
が、しかしだ。
このまま放って帰って、最近上向いてきた機嫌が急降下されても困るのだ。
仕事に追われた夢路に吹っ飛ばされたことは、未だ記憶に新しい。
どうしようかと天秤にかけて、結局どうにかしてやる方が傾いた。
さて、何をしようか。
乱雑に置かれた書類の整理か、それとも必要不必要が選り分けられていないらしい書状の選り分け作業か。
夢路が起きる前には帰ってしまいたいと、妖ノ宮は袖を捲り上げて
積みあがった紙の山を睨んだ。
右が、諸侯からのおべっかしか書いていない書状。
左が、諸侯からの夢路が目を通す必要のある書状。
そして真ん中が、妖退治の書状。
夢路が目を通したと思しき塊を避けて、次々と選り分けていると
目を通すべきと判別したものは、全体の四分の一にも満たなかった。
どれだけ機嫌をとられているのやら。
笑えばいいのか眉をひそめればいいのか。
判別がつかず困っていると、夢路が呻き声を上げてのそりと起き上がる。
「………あぁ…?」
起きた夢路は、そばで座り込んでいる妖ノ宮を見て
不思議そうな顔をした後、妖ノ宮の目の前に広がった書状の森に戸惑ったような顔をした。
「…なにやってんだ、お前」
『書状の選り分けです。左と、真ん中に目を通してくださいね
右は…諸侯からのご機嫌取りの手紙ですから、読みたいなら読めばいいです』
「誰が読むかよ」
一つ欠伸をしながら、夢路は起き上がった。
「どのぐらい寝てた」
『陽は、とうに沈んでしまいましたよ』
戸を少し引いて、薄暗くなった外を見せてやると、夢路はふぅんと気の無い様子で相槌を打った。
妖ノ宮がこの部屋に来たのが大体正午過ぎだから、約六時間は寝ていた計算になる。
よく寝たものだと感心していると、夢路が妖ノ宮の手元を覗き込んだ。
そのまま、しげしげと妖ノ宮が処理をした山々を見て、再びふぅんと呟く。
なんなのだろう。
机の上にあった山の殆どと、持ってきた塊はすべて選り分けてやったのだから
文句を言われる筋合いは無いはずだが。
それにしても疲れたと、凝ってしまった肩を揉んでいると、
夢路が、それにしてもまだ多いなと独り言を言う。
『大分減ったと思いますけど』
「それでも多いんだよ。前は書状なんか見たことなかったんだ。
っち、正義のためじゃなきゃこんなつまんないこと」
『つまらないって』
「つまらないさ。妖退治はまだいいよ。僕は妖を燃やすのは好きだからさあ。
片っ端から燃やしてると、心が高揚してくる。
だけど、こんなものに目を通したところで、面白くもなんとも無い」
不快そうな表情をして言い捨てた夢路に、妖ノ宮は前々から思っていた疑問が浮かんでくるのを感じた。
五光夢路という人間は、何をするつもりなのだろう。
妖ノ宮を四天相克を理由に手元に置き、この夢路が嫌な仕事を我慢してまでも
部下をあちこちにひた走らせる『計画』とは。
似せ星を取り込んだことと、何か関係があるのだろうが…。
『僕と正義にとってとてもいいことさ』
似せ星を待っていた夜、夢路が言った言葉が頭をよぎる。
あの時も思ったが、死者にとって良いこととはなんだろう。
しかし、直球で聞いたところで答えないのは分かっている。
考えた末、妖ノ宮は夢路に向かって『覇乱王のことについて、話してはくれませんか』と書いた紙を差し出した。
正義というからには、計画に覇乱王神流河正義が絡んでくるに違いない。
そして、夢路が覇乱王をどう思っているかは、計画を推測する上で
重要な部分になってくる、そう睨んだ問いかけだった。
夢路はその紙を見ると、「正義の…?」と呟き、怒気を孕んだ瞳でこちらを見た。
「なんで、テメーなんかに話す必要がある」
恫喝するような声で凄む夢路に怯まず、じっと夢路へ向けた視線をそらさずにいると
夢路は苛立ち、床を拳で殴りつける。
『知りたいんです。あなたにとって、覇乱王神流河正義はなんだったのか』
臆することなく問いかけると、
夢路は、そんな妖ノ宮にしばらく沈黙しややあって、正義は…と口を開いた。
「…正義は…僕の唯一だ」
思っても見なかった言葉に、目を丸くする妖ノ宮に目もくれず、夢路は言葉を続ける。
「正義が、正義は僕を必要としてくれる。
…正義だけは、僕を褒めてくれる。
正義だけが、僕に怯えない!
僕はその時間を取り戻すんだ!これで満足か、妖ノ宮!!」
その、予想もしていなかった答えに、妖ノ宮は言葉を失った。
そして納得する。
この言いよう、この執着。
おそらく、五光夢路は、覇乱王神流河正義に、王を見ていたのではなく
…父親を、そして肉親の愛を見ていたのだ。
だから、失った後にあれだけ慟哭出来て、今なお覇乱王に縛られている。
だけれど、それはあまりにも空しい。
覇乱王と呼ばれた神流河正義は、王であって、人ではなかった。
人にあって当然の感情を捨て、国だけを見て覇道に生きる。
彼にとって大事なことは、国の役に立つかどうかで、情など微塵も彼の心に入る余地は無い。
神流河正義は、覇王という人とは別個の生き物だった。
だからこそ、神流河を北方の小国から、この大陸の大部分を治める大国にするという覇業を
たった一代でなし得たのだ。
そんな男に父性を求めるのは、犬に猫を産めというのと同じようなことだ。
そうと知らずに、夢路は彼に父親を見たのだろうか。
それとも、それでもかまわないほどに、彼は自分に怯えない人間を求めていたのか。
考えれば考えるほど、胸が詰まった。
怯えるって、何が怖いんだろう。
彼と相対した時、一番近しく見える凪ですら、怯えるのだと彼は言った。
その言葉を思い出して、妖ノ宮は、強く口を引き結んだ。
こんな人ちっとも怖くない。全然怖くない。何が怖いの、こんな、寂しい子供みたいな人なんか。
座ったままの夢路に、無自覚に手を伸ばして、背伸びをする。
よしよしと頭を撫でると、滑らかな黒髪の感触が気持ちよかった。
「………お前」
呆然とした顔の夢路の声に、妖ノ宮は我に返ったが、とりあえずまた良い子良い子と頭を撫でる。
夢路はそんな妖ノ宮をじっと眺めていたが、やがて
「お前………意味わかんねぇ」
と、惑ったように目をそらした。