波斯の森にて、五光夢路は背後に赤月を引きつれ、森の長伽藍と対峙していた。
…物々しい言い様ではあるが、これは正しい。
なにせ、夢路はこの森にさらわれた子供達を取り返しに来たのである。
「…お前が、これだけ馬鹿だとは思わなかったよ、伽藍」
「…これは………我の本意ではない」
苦々しい言い様で、夢路から視線をそらした伽藍は、後ろに目をやる。
そこに怯えた顔で居並ぶ子供達に、夢路は目を細めると、ふんと鼻を鳴らした。
…ことの始まりは、赤月本部に十数人の中年の男女が押しかけたことから始まった。
みな、とある山村に暮らすものたちなのだと語った彼らは、夢路が姿を現すなり
大地に頭を擦り付け、土下座を始める。
唐突な行動に、目をむく夢路や赤月たちを他所に彼らは口を揃えてこう叫んだ。
「お、お願いします、子供を、子供達を取り返してください!!」
………話を聞いてみると、それぞれ六組の夫婦であり、皆、子供が妖にさらわれてしまったのだという。
そこまでは、よくある話だ。
しかし、そのさらった妖は自分は伽藍の手の者だ。祭りに招きたいので子供はつれてゆく。
と言って子供をさらっていったらしい。
ご丁寧すぎる犯行である。
名を語った何者かかも知れないと、押しかけてきた者の中の一人は言ったが
夢路は間違いなく、伽藍本人の部下だろうと思った。
さらってゆく理由に、祭りを見せたいからなんてことをいうのは、いかにもあの理想狂の部下らしい。
夢路は鷹揚に懇願する者たちに向かって頷くと、不敵な笑みを浮かべ口を開いた。
「わかったわかった。お前達の子供は必ず妖から取り返してきてやるよ。
だからさっさと帰れ」
さめざめと皆が皆泣いているせいで、こころなしか湿気ている場の空気を押しやるように
手を払うと、赤月の者達が未だに咽び泣いている村人達を本部の外に連れてく。
「……………祭りを、見せたいねえ」
似せ星と倶理擂達の妖力を吸収した夢路は、そろそろ次の計画の鍵である
雨露長銀朱へ会いに、沈蛇湖へ行こうかと思っていたところだ。
…人嫌いの雨露長相手には、交渉をするつもりはない。
そのための下準備をするには、森の妖は邪魔になる。
どうやってどかそうかと思っていたところだ。この騒ぎは渡りに船。
これを理由に人里から遠ざけ、森に閉じ込めてしまえば良い。
いい時期に良い騒ぎを起こしてくれたものだが…。
「どこの世界に、さらって祭りに招く馬鹿がいんだよ」
呟くと、頭痛がした
どうせ、人と妖の交流を図ろうという魂胆での行動だろうが、
逆効果になるようなことをしてどうするのだ。
「あいつ…途中で四天相克退場するんじゃねえの」
思わず言った一言ではあったが、この有様では結構洒落になっていないような気がした。
そういう事情で、波斯の森に来た夢路だったが、尋ね人はすぐさま住処から這い出てきた。
ま、赤月の奴らを、ぞろぞろ引き連れてくれば当然なんだけどさあ。
妖屋敷から出てきた伽藍に、挑発的な視線を投げた夢路だったが
その背後にいるもの達の数には、呆れかえるほかない
伽藍の背後にいる子供達は、一、二、三…総勢十人
一人二人で十分だろ、返す手間を考えろよと、頭を抱えたくなった夢路は
殊更嫌味ったらしい口調を意識しながら口を開いた。
「よくもまぁ、お前、面倒ばっかりかけてくれるよな。感心するよ」
「ぐっ…これは…誤解なのだ」
「後ろに子供を引き連れてきておいて何が誤解なんだか」
嘲るような笑いを浮かべると、伽藍はぐっと押し黙った。
それを好機と見たのか、伽藍の後ろにいた子供達が一斉に走り出し夢路の後ろへと逃げ出す。
「こ、怖かった!」
「いきなりつれてこられてね、がぉおって、食べられるかと思った…」
「そ、そんなことはっ」
「すると思ったんだから、仕方ないんじゃないか?お前顔怖いしねえ」
子供の言葉に、目を見開いた伽藍に肩をすくめると、
伽藍は子供達から視線を外し、ぐっと拳を握り締める。
「我はただ、子供に妖の祭りを見せたかっただけだ。
…だが、断じてさらって来るなどという手段はとるつもりではなかった…
部下達が、そんなことをするとは思いもしなかったのだ」
「つもりは、つもりだろ。おい、餓鬼どもをあの煩い親の元に送っていけ」
「は!」
短く声を上げ、近くにいた赤月の者三人が、解放された安堵感から
泣き出してしまった子供達を促し、森の外へと歩き出す。
その姿が木の陰で見えなくなるところまで目で追いかけた夢路は、
くるりと向き直り、伽藍の顔を見据えた。
「さて…お前この前も妖を村に送り込んで、騒動を起こしてるだろう」
「そ、それは」
言われて、伽藍は動揺を見せた。
妖と人との共存のために考えて、彼は何匹かの、人に受け入れられそうな容姿を持った妖を
人里に送り込み、近くに住まわせていたのだが…。
結果から言えばそれはあっけなく失敗した。
しかも大失敗だ。
送り込んだ妖は、こともあろうに人の子の尻子玉を抜き去ってしまったのだ。
とられた子は、命に別状はなかったが、それでも妖に危害を加えられたことに変わりはない。
その人里は、以来妖を見れば鬼のような形相で、箒や鉈、鍬を持って追い掛け回すようになった。
それを思い出して、言葉を詰まらせる伽藍に、よしよしと内心頷きながら
おくびにも出さずに、しれっとした顔で、夢路は告げる。
「だからさ、伽藍。お前ちょっと自粛しろよ」
「そ、それは」
「断れる立場だとでも思ってるわけか?理想で国を乱しちゃ世話ないんだぜ、伽藍。
お前の行動で、何が起こったか良く考えてみなよ」
「っ…」
「別に、今すぐ理想を捨てろって、僕は言ってるわけじゃないだろ。
妖と人とが仲良く、だなんて吐き気がするような世界は考えたくもないけど
お前が盛大におおごけするところは見たいしね。
お前はお前が信じてる理想とやらを追い求めれば良い。
ただ、その為にこっちが、苦情処理係みたいなことをやらされるってのはごめんだ」
畳み掛けるように言うと、伽藍はすっかりしょげ返って尻尾をたらす。
「それは…すまないと思っている」
「そう思ってるなら、誠意を見せてくれよ。時期を定めてそのときだけ交流するとかさあ」
苦虫を噛み潰したような顔をしている伽藍に、肩をすくめて言うと
伽藍はややあって、夢路の言葉に頷いた。
「…もうじき、祭りだ。その日まで我等は森にこもり、決して人里には出ぬ。
………これで良いか」
「やればできるねぇ。最初っからそうしててくれると、こっちも昼寝してられるんだけどさ。
…じゃ、そういうことで」
身を翻し去ろうとした夢路に、伽藍が待てと声をかける。
珍しいこともあるものだと、振り向いた夢路に伽藍は少し惑ったような顔をした後
「すまないが、妖ノ宮に祭りに招くのは止めにさせて欲しいと伝えておいて貰えないか」
その言葉に、夢路はふうんと気のない相槌を打った。
「あいつまで誘ってたのか」
「……翠が妖ノ宮に会いたがる……それと、気晴らしにでもと思ったのだ…」
「へぇ。気晴らしねえ。とりあえず、気が向いたら伝えてやるよ」
やる気のない夢路の返答を咎めもせずに、伽藍は打ちひしがれた様子で夢路に背を向けた。
それと同時に、夢路もまた伽藍に背を向けて森の外に向かって歩き出した。
それからしばらくして、赤月本部に戻ってきた夢路は、自室に帰ろうかと思ったところで
伽藍に、妖ノ宮への誘いを断っておいて欲しいと言われたのを思い出した。
放っておいて別に祭りに行かせても良いが、妖ノ宮の外出は出来るだけ少ない方が良い。
彼女が外出するたびに、安全の確保のために赤月の隊員たちを割かなければならないからだ。
あいつの顔を見ると、なんかこう、ぐるぐるするからなあと、
気が進まないながらも妖ノ宮の部屋を覗いて、夢路は拍子抜けした。
妖ノ宮は、まだ日も高いうちからぐうすかと昼寝をしていたのだ。
「…いい身分だなあ」
彼女を軟禁し、やることを無くさせているのは自分であるが、
忙しい身としてはそんな様子を見るのは腹立たしい。
ただ、妖ノ宮は夢見が悪いようで、眉間に縦じわを寄せながら
眠っているのに少しだけ気が晴れる。
起こすか、と足音を立て近づき夢路は妖ノ宮の目の前に立ち、彼女に向かって手を伸ばす。
丁度そのとき、計ったように妖ノ宮の手が伸ばされた。
「〜〜〜…」
何事かを口の中で呟き、がしっと、妖ノ宮が夢路が伸ばした手を捕まえた。
「………おい」
痛いほどに夢路の手を掴み満足したのか、妖ノ宮はふぅっと眉間のしわを消し、すやすやと寝息を立てる。
とりあえず、振ってみたものの、手がますます強く掴まれただけに終わった。
指を引き剥がそうと試みてみても、指一本すらはがれず、
掴まれた手ごと上に持ち上げてみても…妖ノ宮ごと持ち上がった。
「お前、起きてるんじゃないだろうな!燃やすぞ!」
怒鳴りつけてみても、うんともすんとも言わない妖ノ宮に、
夢路は頬をひくつかせた後、大きくため息をつく。
…ここで、燃やしてみても良いのだが…疲れた…。
終わりは見えてきたものの、計画はまだまだかかるし、
見切りを付けたのか、他の四天王たちについていた諸侯たちから
来る書状は増える一方だし、働いても働いてもちっとも楽にならない。
思った途端に、うとっと、まどろみが夢路を襲う。
掴まれた手を見て、戸口を見て、それから夢路は妖ノ宮の横に寝転んだ。
襲う眠気に身を任せ、目を閉じる間際に眠る妖ノ宮の顔を見る。
目を閉じている彼女を見ても、苛々もぐるぐるもしなかった。
…………これは、一体どう解釈したら良いのか。
妖ノ宮は起き抜けの頭で考えてみるが、全く持って状況が分からない。
何故、目が覚めたら夢路が横で寝ていて、あまつさえ自分は夢路の手をがっちりと掴んでいるのだろう。
「…………なんです、これ」
しっとりと汗ばんだ手を剥がして、夢路の着物で拭うと、夢路の瞼が僅かに動いた。
見守っていると、うっすらと彼の目が開き、妖ノ宮のほうを見る。
「…………あぁ…?」
夢路は二度ほど瞬きをした後、むくりと上体を起こした。
そのまま欠伸をすると、妖ノ宮のほうを見て、少し首を傾げる。
「………ああ、お前さ、伽藍の奴が祭り断っといてくれって」
唐突に言われて、何のことか一瞬分からなかったが、
この間訪ねたときに言っていた迎旬の祭りのことだと思い当たる。
こっくりと頷くと、夢路は妖ノ宮の顔をしげしげと覗き込んだ。
それに僅かに身を引くと、ふぅんと夢路が声を漏らした。
「………起きてると、やっぱりお前苛々するな」
いきなり何故そんなことを言われなければならないのか、意味が分からない。
思わず憮然とした表情を浮かべてしまう。
そんな妖ノ宮に構わず、夢路は更に続ける。
「…お前見てると、胸の奥はざわざわするし、餓鬼は嫌いなのに構っちまうし、わけわかんねえ」
「…………」
「なんでだ」
言うだけ言うと、夢路はさっと立ち上がった。
「じゃあな、妖ノ宮。大人しく籠の鳥でいろよ」
余計な言葉をつけて、夢路が歩き出す。
とんっと、扉の閉まる軽い音が立ったのを聞いてから、妖ノ宮は前に頭を倒してうなだれた。
「…なんでだと、言われてもですね…」
つい構ってしまって、見てると胸の奥がざわざわするって言うのは………それは…。
「多分それは、嫌いでは、なくて…」
なんでわからないのだろう。
いや、妖ノ宮が考えていることが当たっていると確定したわけでもないが、しかし。
…夢路と繋いでいた手を見る。
汗ばむほどに暖かかった温度は消えうせ、外気に晒された指先は既に冷たい。
そういえば、殴られてから初めて会ったのだったと、妖ノ宮は今更ながらに思い
会ったあまりの夢路の愚かさに思わず目を閉じる。
いっそ、もう諦めがつくうような気すらした。