目が覚めると、部屋が変わってたというのは、どうすれば良いのか。
だから、人が寝ている間に何かをするのはやめて欲しい。
起きると部屋が自室でない別の部屋に変わっていた妖ノ宮は、眉間をぐりぐりと押した。
内装は、同じようにされていたが、天井の染み、床の木目、戸の位置。
それら全てがもといた部屋とは違う。
部屋を変えられた?何のために?
疑問を胸に抱え、妖ノ宮は近寄り戸を開く。
すると、そこから見える景色すら変わっていた。
まず、彼方に見えていた意問山が見えない。
それだけなら、部屋の位置から山が見えなくなっただけと思うかもしれないが
塀の外に見える百錬京の中心にある城が、位置も変わっているが、どう見ても前より遠かった。
以前は手のひら大に見えていたというのに、今は米粒大に見える。
どう考えても、屋敷内で部屋を移動されたのではなさそうだった。
「……えぇと……?」
思わず疑問の声を上げると、そこにとんっという足音が耳に入った。
その方向を向くと、夢路が握り飯の入った皿を持ってぱちぱちと目を瞬かせている。
「なに、お前起きたの」
こくりと頷く。
次いで、夢路にこれは一体どういうことなのか問おうとしたが、
あいにくと起きたばかりで半紙も筆も持ち合わせていない。
どこにあるのかと、視線をうろつかせていると、妖ノ宮の意図に気がついたのか
夢路が握り飯をくわえながら口を開く。
「…お前さ、もう約定は破ったんだから普通に喋れば」
その言葉にぎょっとした目を向けると、
「お前の声は、そんなに鬱陶しくないから、もういい」
夢路は澄ました顔でそう言った。
……我がまま。
思ったものの、それを言って機嫌を損ねてもいけない。
妖ノ宮はもう一度こくんと頷くと、ありがたくその申し出を受ける。
「では、尋ねますけれども、夢路………ここ、どこです」
「赤月の、仮本部」
「………かり…?本物は」
「僕が全壊させた」
「………………………………………………………え?」
間抜けな声を上げてしまった妖ノ宮を、誰が責められるだろうか。
何故、長自らが本部を全壊させなければいけないのだ。
………いや、でも、ほら…夢路だから…。
何をやるかはわからない。
思わず疑いの目で見てしまう妖ノ宮に、何を勘違いしたのか
「ん」と夢路が握り飯を載せた皿を妖ノ宮の方に差し出した。
「なんです、くれるんですか」
「いらないんなら、全部食うけど。一週間も食ってないのに、お前腹減ってないの」
「…一週間?!なんですそれ!」
「だから、一週間お前寝てたんだよ」
驚愕する妖ノ宮に、実に普通に答えて、夢路はまた握り飯にかぶりついた。
…そう言われると、人間お腹が空いてくるもので、現金に妖ノ宮のお腹がぐぅぅと鳴いた。
「……………………………聞きたいことも山のようにありますし、
ちょっと部屋で、お握りでも食べながら話をしませんか」
「素直にくれって言えよ」
そういうはしたない真似は、ちょっと。
腹を押さえながら言う言葉ではないので、顔を真っ赤にして顔を背けながら
妖ノ宮は夢路を部屋に迎え入れた。
敷いていた布団を上げ、部屋の中央辺りに向かい合って座る。
「それで、夢路。一週間寝ていたというのは、沈蛇湖に行ってから一週間既にたっているという事ですか?」
「それ以外に何があるってんだ」
きっぱりと言われると、改めて言葉を失う。
一週間も、寝ていたのか、あれから。
よほど力を使ったのが、体に堪えたのだろう。
そこまで考えて、妖ノ宮ははっとした。
「目!」
立ち上がり、急いで部屋の姿鏡を見る。
そこに映った妖ノ宮の瞳は、金ではなく朱だった。
ほっとして、夢路の前へまた戻ると、一連の動作をじっと見ていた夢路が口を開いた。
「妖ノ宮」
「はい?」
「なぜ、僕を助けた」
「何故といわれ、ても………」
いきなり言われて、言葉を失う。
「お前に僕を助ける理由はないはずだ。僕を見捨てる理由はあっても。なぜ、助けた妖ノ宮」
静かな声で問われて、妖ノ宮は胸に手を当てた。
何故、と言われても、そんなの。
「………死んで、欲しくなかったからではないですか?」
助けるのか助けないのか、天秤にかけて、結局助ける方を選んだ。
それをなぜかと問われれば、憐憫と僅かな情がそうさせたという他ない。
本当は、まだ怒ってはいるのだけれど…。
これが、寂しい子供過ぎるのがいけない。
自分の感情すら、見えないような、寂しい子供過ぎるのが。
見捨ててしまえれば楽なのに、とため息をついてしまった妖ノ宮を見下ろして
夢路は何を考えているのか分からないような表情をする。
「………ふうん。あっそ」
「あっそって…もうちょっと言い様…むっ?!」
口を開いた途端に、口の中に握り飯が入り込んできて、妖ノ宮はくぐもった声を上げた。
「握り飯、食えば」
あぁ、うん。食べます食べます。自分で食らべれますから!
言おうと思っても、口の中にものがある状態では喋れない。
喋るために仕方なく食べていると
「…美味い?」
口の中に詰め込まれた握り飯のせいで喋れないというのに、夢路が聞く。
その声と表情と口調に、なんというか、捨て犬を拾いたいけど飼えなくて
仕方ないから道端で犬にご飯をやっている子供の図を連想して、
妖ノ宮は危うく握り飯を噴出しそうになった。
なんなんだろう、この人。
あむあむと、無理やり突っ込まれてくる握り飯を食べながら、
上目遣いで夢路を見ていると、夢路はもう一度「美味いわけ?」と問うた。
「……………食べていたら、喋れるわけが無いでしょう」
結局、握り飯一つを、全て食べさせられ終わってから、妖ノ宮は夢路に突っ込んだ。
何が悲しくて、いい年をした人間が、人に手ずからご飯を
食べさせてもらわなくてはいけないのだろう。
思ってから、ほんっとうに微妙な気持ちになる。
何をしているのだろうか、自分は。
こんな馬鹿みたいな真似をして。
仄かな殺意と確かな怒り…と口の中で繰り返してみるが
もう、沈蛇湖で殺せなかった時点で駄目なのだ、多分。
寂しい子供に引きずられる。
仕方が無いかとため息をついて、妖ノ宮は覚悟を決めた。
大丈夫。目の前のこれがいい年をした大人であるのに
こうだという事には、この間諦めがついた。
あとは、自分の中の怒りにどう折り合いをつけるかということだが…。
そこに、どやどやと凪や黒耀、それからそのほかの赤月の者たちが入ってくる。
「妖ノ宮、目が覚めた気配がしたから来てみたけど…大丈夫かい」
「あ、凪。心配していただいて、ありがとうございます」
くるりと振り向いて、自分の名を呼んだ妖ノ宮に、凪は足を止めた。
凪だけではない。黒耀も、赤月の隊員達も、皆。
「アンタ、喋れるように…」
「喋っても良いと、先ほど言われました。ね、夢路」
「…半紙で筆談されると、いらいらすんだよ」
むすったくれた顔で言った夢路に、くすりと笑いを零すと物凄い勢いで睨まれた。
その和やかな様子に、また言葉を失くす一同をよそに、妖ノ宮は立ち上がった。
さて、折り合いをつけましょう。
おもむろに立った妖ノ宮の顔を、見上げている夢路に向かって微笑んで、
妖ノ宮はすぅはぁと息を吸って、吐いて。
それから妖ノ宮は夢路の鼻っ柱を思いっきりぶん殴った。
「っ!?」
思わず凍りつく周囲をよそに、妖ノ宮は殴った右手を、いたたと振った。
「…………お前…何を」
「これで」
夢路の言葉をさえぎって、妖ノ宮が彼を見下ろす。
「これで、意問山の件は、不問にします。
本当は、ちょっと殺してやりたかったんですけど、
それは私の気持ち的に無理そうなのでやめましょう。
…いいですか、夢路。それでも私は、とても、とてもとても、痛かった!」
もう一回殴ろうかとも思ったが、頭を叩くだけに止める。
それでも夢路は心狭く、妖ノ宮を睨んだ。
「お前、調子に乗るな、燃やされ」
「あぁ、それなんですけど」
もう一度さえぎって、妖ノ宮は夢路に指を突きつけた。
「前々から思っていましたが、すぐに燃やすとか炙るとか、あなた叱られたり怒られたりしないから
そうやって我慢を覚えずに、暴力で我を通そうとするんですよ。
これからは、私、びしばし叱りますから。
いい年をした大人として、組織の長として、我慢ぐらい覚えなさいね、夢路」
その場の誰もが、もう何も言えなかった。
何を、何を言っているんだろう、この子。
「………妖ノ宮……………その……怖く、ないのかい…?」
恐る恐る尋ねた凪に、妖ノ宮は心底不思議そうな顔を見せた。
「怖いって?何が怖いって言うんです。こんな人」
本心から言って、妖ノ宮はすとんと座った。
怖いって、沈蛇湖を干上がらせるぐらい強大な力を持っていること?
そういう力を使わせなかったら、それは別に怖くないのではないかしら。
妖ノ宮は、思う。
夢路を、外見相応の年齢の人間だと思うから、駄目なのだ。
…翠か、極楽丸よりも幼い子供だと思えば良いではないか。
我慢のきかない寂しい子供。ちょっと強い力付き
…頑張って躾けていたら、すぐに暴力を振るうところだとか、人の意思を無視するところだとか
その辺りは、多分何とかなるんじゃないかと思う。
見捨てられないのならば、夢路を変えてしまえば良いではないか。
自分の考えに、妖ノ宮はうんうんと頷いた。
「…だから、本当…燃やすぞ、お前」
「ですから、そういう発言は駄目ですよ、夢路」
夢路の力無い脅しを気にもせず、皿から握り飯をとり、はくりと口に含んだ妖ノ宮に
もう、誰一人として何かを言える人間は…その場にはいなかった。