「で、何でお前、ここにいるんだ」
「仕事を手伝いつつ、四天相克の様子でも訊こうかと思いまして」
一応情報ぐらいは握っておきたい。
夢路の部屋で、やはり大量にある書状を選り分けながら、妖ノ宮が言うと
あっそうと、夢路が納得しているのかしていないのか、分からないような返答をよこした。
「で、四天相克は今どうなっているんです?
この書状の数を見る限り、負けてはいないようですが…」
その夢路の態度にも、もう慣れた。
怒らないということはいても良いということだし、四天相克の様子を聞いても良いということだ。
馬鹿みたいに来ている書状の山を見渡しながら問いかけると、夢路は肩をすくめた。
「本紀は、もう駄目だな」
大叔父が?
夢路の答えに驚いて、夢路の方を見ると彼は書状に対する返答を書く手を休め、妖ノ宮を見た。
「老人過ぎるんだよ、あいつは。ついていても、長い利益にはならないって判断されたのさ」
「………そうですか」
「あと、伽藍の奴も怪しいな」
「え、あ、あぁ………はい」
伽藍のあの真っ直ぐさ加減から行くと、案の定といえば案の定だが。
…やはり、上手くいっていないのか、あそこは。
「潰れるほどじゃあないけど………ふん」
「えぇと、…鳩羽はどうなのですか」
なぜか急に機嫌が落ち始めた夢路に、慌てて最後の一人の名を振ると、
夢路は鳩羽ねえ、と呟く。
「上手く、いってるんじゃない?今は僕とあいつで票が二つに割れてるような状態だよ。
本紀と揉めたり、色々やってるみたいだけどさ。
結局古閑との戦に勝ってるからね。一部じゃ英雄扱いもされてるって話だ」
「なるほど、戦勝効果は大きいですね」
おまけに、覇乱王そっくりと噂されていた遺児、極楽丸があそこにはいる。
男で、しかも将来有望な遺児を立てていると言うのも、影響はしているだろう。
本紀大叔父が駄目だというのには驚いたが、あとは概ね予想通りか。
伽藍は…負けても森に引きこもれば何とかなるだろう。
森の長に手出しを出来るような人間は、夢路ぐらいしかいないが
彼も森に引きこもった伽藍相手に、興味は持たないはずだ…おそらく。
翠も、伽藍にくっついていけば何とか助かるはずだ。
あそこは放っておいても、多分大丈夫。
後できちんと伽藍に助けてもらうよう、翠宛てに書状を送ろう。
書状を選り分けつつ、妖ノ宮は一人でうんうん頷く。
それをしばらく眺めていた夢路も、また仕事に戻った。
しばらくは紙の擦れる音だけが、室内に響く。
そこに足音が響き、部屋の戸が開けられた。
「頭、書状がまた…」
「あぁ?!」
戸口に立った、山のような書状の山を抱えた赤月隊員を睨みつける夢路。
その凶悪な表情に足を震えさせる隊員。
書状を持ってきただけだというのにとんだ災難だ。
今にも腰を抜かしてしまいそうな隊員の様子に、人に押し付けるわけだと
無理やりに赤月隊員に書状の山を渡されたことを思い出していると
夢路がゆっくりと右の手のひらを上向けた。
それを見て妖ノ宮は急いで立ち上がると、近寄って夢路の額をぺちんと叩く。
「………おい」
「今、燃やそうとしましたね、夢路」
咎めると、夢路はむっと眉間にしわを寄せた。
「燃やしてねえだろ。僕が燃やしてから言えよ」
「燃やされてから怒っていたのでは、どう考えても遅いでしょう」
それは手遅れというのだ。手遅れと。
真正面から視線をぶつけ合わせていると、戸口で重たい音がした。
「し、しっつれいしましたーっ」
二人してそちらに視線を向けると、戸口に書状が置かれていて、赤月隊員の姿は既に無い。
「早い…」
「お前のせいで、八つ当たりの対象を逃がしちまったじゃねえか」
「部下は大事にしてください」
八つ当たりをするつもりだったと、正直に言ってしまっている夢路は語るに落ちているが
そこに突っ込まずに妖ノ宮は、戸口に置かれた書状を抱え上げ、未振分けの書状に追加した。
そこでどうしようか迷ったが、妖ノ宮は夢路の真正面に座って、膝を付き合わせる。
「なんだよ、妖ノ宮」
「いえ、丁度良い教育の機会かな、と思いまして。夢路」
「なに」
「あのですね、そうやって短絡的に、人に暴力を振るってはいけませんよ」
「なんで」
………なんでと来たか。
予想はしていたものの、小憎たらしい切り替えしに、妖ノ宮は青筋を立てながら、にっこりと笑う。
「五光夢路は赤月の長でしょう。
まず、あなたが赤月というもののあり方を、身を以て示さなくてはいけないというのに、
そのあなたがそうやって短絡的に好き勝手して、感情のままに振舞っていたのでは
赤月を統率できませんよ。暴力で人を従わせるのと、統率するのは違いますからね。
極めて理性的に、落ち着いて、冷静沈着に事態に当たらなければ。
大体感情のままに部下に暴力を振るっていたのでは、彼らが萎縮してしまって、やる気が下がります。
やる気が下がると、戦いに対する士気や仕事の能率が落ちます。
そうするとどうなるかというと、ただでさえ多いあなたの仕事が増えてしまうのです。
…ほら、良いことなんて一つも無いでしょう?」
妖ノ宮の言葉に、非常に物言いたげな顔を夢路がした。
言いたいことは、分かる。
非常に良く分かるが…。
「だって、あなた、道徳的なところから攻めても聞かないでしょう」
「聞かないな。でもだからっていって、そういうところから攻めても聞かねぇよ」
「………まぁ、いいです。一朝一夕にあなたのそういう所が、直るとは思っていませんから」
悪びれない夢路に、妖ノ宮はため息をついた。
どうしてこう、我が道を行くのか。
頭が痛くなりそうになりながら夢路を見ると、彼もまた、心底不思議そうな顔をして妖ノ宮を見下ろしていた。
「でもお前、なんであいつらなんか庇うわけ」
「なんかって」
妖ノ宮は、その言い様にむっとする。
仮にも部下に、なんかとは、なんだ。
しかし夢路は意にも留めず、横の机に頬杖をついた。
「なんかは、なんかだろ。仮面被ってる調停から派遣されてきた奴らなんて
代わりなんかいくらでもいる。
燃やしても、潰しても、いくらでも調停から次は送られてくるんだ」
「そんな、使い捨てみたいな…」
「使い捨てだよ。調停の奴らにとっては。あいつらも…凪も、僕もただの便利の良い道具だ」
言葉を失う妖ノ宮に、夢路ははっと吐き捨てるように言った。
それに思わず哀れみの視線を向けると、夢路は鬱陶しそうに手を振った。
「そんな目で見るなよ、鬱陶しい。大体こうは言っても、もう僕はあいつらの道具じゃない。
正義に会って、僕は自由になったんだ」
唇を歪めて夢路が笑う。
そんな夢路に、むうと唇を尖らせて、妖ノ宮はとりあえず夢路の頭を撫でた。
やっぱり女のようにつやつやの夢路の髪は、すべすべしていて指に気持ちが良い。
すると夢路はそんな妖ノ宮の手を掴み、頭を撫でるのをやめさせる。
ただ、嫌がっているのかと思いきや、その表情はどこか戸惑った様子だった。
「お前な、この間からこうやって…人をいくつだと思ってるんだ」
「知りませんよ、いくつなんですか」
半眼で睨む夢路に、妖ノ宮は首を振る。
夢路の歳なんて気にした覚えもないし、聞いた覚えもない。
二十歳は超えているのだろうが。
問い返すと、夢路は暫く首をかしげた。
「……確か…多分二十九歳」
「多分」
「売られたから多分なんだよ。…あぁ、もう、うるせえなあお前は」
鬱陶しそうに言って、夢路は掴んでいた手を離して、両手で妖ノ宮の頭をぐしゃぐしゃにかき回した。
撫でるのではなくて、かき回す。
自然と、整えられていた妖ノ宮の髪の毛はぐちゃぐちゃに乱れた。
「きゃあ?!何するんです夢路」
悲鳴を上げる妖ノ宮に、ふぅんと面白そうな顔をして
夢路が更に妖ノ宮の頭をめちゃくちゃにする。
「ちょっと、やめてください、やめ…このっ!」
それに対抗して妖ノ宮もまた、夢路の髪をぐちゃぐちゃに乱しはじめた。
お互いにやめる時期を見失い、鳥の巣のような頭になりながらも
二人は半ば取っ組み合いのようになりながら、互いの頭を乱暴にかき乱し続ける。
とても良い年をした人間のやることではないが、頭に血の上っている二人は気がつかない。
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てながら、しっちゃかめっちゃかにお互いを攻撃する。
「あぁ、もう!やめてくださいって言ってるでしょうっ」
「お前がやめたら僕だってやめるよ」
「夢路がやめたら私だってやめます!」
「………何やってんだい、アンタら」
「あ、凪」
………割って入った呆れた声にそちらを見ると、いつの間にか、凪がおはぎの乗った皿を持ってこちらを見ていた。
……非常に、視線が痛い。
「良い年した人間が二人揃って何やってんだい…夢路はともかくとして…妖ノ宮、アンタまで」
「う……面目ありません」
「おい、何で僕がともかくなんだ!」
ともかくだからだろう。
抗議の声を上げる夢路を放っておいて、妖ノ宮はしゅんとしながら場に座りなおした。
手櫛でぐちゃぐちゃになった髪を整える。
「あぁ…絡まってる…」
「僕だって同じなんだぞ、文句言うな」
もう、ぐっちゃぐっちゃの状態になった髪は、すぐには元に戻りそうに無い。
夢路の髪も、同じような惨状であるということだけが、唯一の救いか。
悲壮な顔で絡まった髪を見る妖ノ宮に、凪はおはぎの乗った皿を中央に置きながら
「あとで、良い香油を貸してあげるよ。つけて解きゃ、なんか違うだろ」
と親切に申し出る。
それにありがとうございますと礼を言う妖ノ宮に、凪は礼なんかいいよと返しつつ
部屋の中をぐるりと見渡した。
「…しかし、だいぶ書状も片付いたね。一時は埋まりそうなもんだったのにさ」
「そうですね、でもおべっかが書いてあるばかりの、意味の無いものが大半でしたから」
「そうかい。あ、おはぎは好きにお食べ。休憩も必要だろうと思って持ってきたのさ」
「わ、ありがとうございます」
疲れたときには甘いもの。
凪の親切が心に優しい。
やっぱり凪は良い人だと、おはぎをぱくついていると
夢路が同じようにおはぎにかぶりつきながらはあとため息をついた。
「しかしこれ、いつまで続くんだ…。もう、燃やしたくてたまんねぇ」
心底疲れきった様子の夢路は、傍にあった書状を一枚つまんでぽいっと放る。
気持ちは分からなくは無いが、重要な書状であったら困る。
それを拾って、元のところに戻す。
ついでに夢路の膝を叩いて咎めるのも忘れない。
「いつまでと言っても、四天相克が終わるまででしょうが…」
ただ、夢路達の目的は別のところにある。
…覇乱王、神流河正義を蘇らせるというところに。
なにが正義にとって良いことなのか、沈蛇湖の夢路の言葉でようやく分かった。
確かにそれが可能ならば、夢路にとっても覇乱王にとっても良いことだし
覇乱王が蘇れば、四天相克を放り出しても自然と夢路の首はつながる。
「まあ、早く計画が終われば良いんじゃないですか」
だから、妖ノ宮はそう軽く発言した。
一瞬、部屋の空気が止まる。
しかしそれはほんの僅かな時間だけで、すぐに凪が「そうだね」と同意した。
「計画が終われば、もうこんな書状の相手しなくて良くなるさ。
妖の相手だけしてりゃ、良くなる。そうだろ、夢路」
「…そうだな」
その凪の態度の自然さに、妖ノ宮は誤魔化され、
一瞬の間にも、夢路の僅かな逡巡の間に気がつくことは無かった。