戦場を支配するのは、ただ耐えがたい熱だ。
近くで、中つ国の兵の首が飛び、それをなした常世の兵が
千尋の放った矢に貫かれる。
崩れ落ちる常世の兵。
後ろにいた歩兵達へ、三本続けて矢を放てば、
吸い込まれるように、それぞれの額へと命中した。
次っと矢筒に手を伸ばすその隙を狙って、
敵が千尋の背後から踊りかかる。
それを、味方のほうへ飛ぶことで逃れると、
その間に近づいた忍人の剣が、襲い掛かったものを裂いた。
「砦への侵入は!?」
叫ぶようにして聞くと、風早が敵兵を切り捨てながら、視線をこちらへよこす。
「先発隊と、ほか何隊が果たしたそうです。
上手くやっていれば、直、勝鬨が上がるはず。
…大丈夫です、千尋。多分こちらに向かってくる兵が、一番多い」
「そう、ならいいの」
二の姫の率いる手勢に向かい、あふれ出てくる常世の兵を睨み付け、
千尋はすっと天鹿児弓に矢を番えた。




―一刻後、砦の中から勝鬨の声が上がる。
中つ国軍の勝利であった。
中つ国軍の士気は大いに向上し、橿原を前に、
勝利の宴が開かれ、つつがなく終わった。



それから、一夜。
砦と勝利を手にした千尋は、ふらふらと天鳥船の廊下を歩いていた。
「あたま、いたい…」
ふらつく頭を抱えて、千尋は天鳥船の壁に寄りかかる。
頭の中側から、どらでも鳴らしているかのように響く痛みに
眉間にぎゅっと皺を寄せて耐える。
どうやら、三週間前から患っていた風邪を、
このたびの戦と宴による夜更かしで、完全に悪化させたらしかった。
一回は治ったと思ったのに。
近頃、咳もくしゃみもなかったから、完治したもの思っていたのだが…。
いや、ひょっとしたら、引きなおしたのかもしれない。
千尋ははっと思ったが、それがどうしたと、肩を落とす。
三週間前からの風邪の悪化でも、昨日引いたのでも
今風邪気味なのは変わらない。
「あたま、いたいよ…」
口に出せば、どうにかなる気がする。
苦しいつらい頭痛いと、周囲に気を払いつつ、散々愚痴っていた千尋だが
その気の払いも風邪ゆえに完璧ではなく
「どうしたんだ、姫さん。こんなところで」
いつの間にかサザキが後ろで、胡乱気な顔をして立っていた。
「わっサザキ!!」
姫らしからぬ悲鳴を上げ、そこから飛びのくと、無理をしたせいか 肺のほうから勢い良く咳が飛び出した。
「こふ、こんっこふ!」
思わずくの字に体を折った千尋は、はっと目を見開く。
しまった。
そう思ったが既に遅い。
そっとサザキのほうを見上げると、彼は困惑もあらわに千尋のほうへ手を伸ばした。
彼の手が、千尋の頬に触れる。
その瞬間、サザキは眉を寄せた。
「おい、姫さん。なんだか熱い気がするんだが…」
「気のせいよ、サザキ」
ふらふらとする頭で、緩やかに首を振り手も振ると
彼はむっとしたような顔をした。
「気のせいじゃないだろ、この熱さは。
大体なんだその声、ガラガラじゃねぇか」
「えぇと…戦場で叫びすぎたせい、かな…?」
「それも嘘つけ。宴会のときは普通だっただろ」
あっさりと言われて、千尋はどうしようもなく、ただ誤魔化す様に笑みを浮かべた。
ばれたくはないのだが。
黙って立ち去ってくれないだろうかと、祈るような気持ちで
サザキと目を合わせると、彼は何事かを考え込んでいた様子だったが
ふと、千尋の肩をつかんだ。
「え?」
困惑の声を上げる千尋をよそに、サザキはゆっくりと千尋のほうへ顔を寄せ
おでこをこっつりとくっつける。
熱を測りたいのだと気がついたのは、ばくばくと心臓が十回はなってからだった。
何か宣言してからやってくれないだろうかと千尋は思ったが、
それをやられると間違いなく拒否していただろうから
黙ってやったサザキは全く正しい。
「…熱は、ないみたいだが…」
しばらくそうやっていたサザキは、千尋の体温とサザキの体温が混ざり合ったころ
ようやく判断を下した。
「でもやっぱちょっと熱いな」
顔が間近にあるせいで、サザキの吐いた息が
ふわふわとこちらにあたる。
それが妙に気恥ずかしくて、千尋はぎゅっと目を瞑った。
顔が近い。
男らしい、端正な顔立ちが近くにあると、どうにも落ち着かず
千尋はうろうろと視線を彷徨わせた。
普段はその気安さと、おおらかさで隠れているが、彼は十分な美丈夫なのだ。
それを改めて認識した千尋が、風邪とは別の熱で
頭をくらくらとさせるころ、サザキはやっと千尋から離れてくれた。
「姫さん…あんた今んとこ熱はないみたいだが…その様子じゃ時間の問題だぜ?
戦も終わったんだ。ゆっくり寝てたらどうだ」
労しげに声がかけられる。
サザキは優しい。
だが、その優しさに甘えるわけにはいかない。
千尋は、彼に対してぶるりと頭を振った。
「やることは、いっぱいあるの。
だから休んでなんてられない」
砦が確保できたからといって、それではい終わりにはならない。
戦死者の慰霊や、このあたりの豪族への協力要請、
千尋のやることは山のように積みあがっている。
この程度で参るわけには行かないのだ。
なおもぶんぶんと頭を振っていると、上からため息が聞こえた。
「あんたなぁ…」
サザキは言って、頭をぼりぼりとかいている。
呆れられただろうか。
自分で招いた事態なのに、後悔が押し寄せてきて
千尋はなんて身勝手なと自分を罵った。
心配してくれる人に、わがままを押し通す自分が悪いのに
そんな嫌われたくないだなんてわがままを、さらに押し通すつもりなのか。
胸の前でぎゅっと手を握ると、またため息がふってくる。
「しかたねぇな」
次に、降ってきた声はとても優しかった。
千尋がそれに顔を上げる前に、サザキが先んじる。
「海賊の頭の俺が教えてやろう、姫さん」
ぐっと、引き上げられる感覚。
気がついたとき、千尋はサザキの腕の中で、姫抱きをされていた。
さらりとサザキの赤い髪がこぼれて、千尋の頬にかかる。
そこでようやく状況に気がついた千尋は、
動転して逃れようとするが、サザキがわざと抱いている腕を揺らしたためにかなわず
逆にすがる羽目になった。
「サザキ!」
「いいから聞けって。頭を長年務めている俺から言えばな、
良い上司ってのは、良く部下を信頼するもんだ。
あんた、ちゃんと仕事を任せても大丈夫だって、わかってるだろ?」
葛城忍人にしても、岩長姫にしても、道臣にしても、ほかの誰でも。
含んで言われると、千尋としては黙るよりほかない。
彼らが優秀なのは、千尋も良く知るところで
確かに彼らならば、何事もなかったかのように取り計らってくれるだろう。
「だから、任せてやれよ。信頼の証として、ちゃんと」
にっと、近くで笑われて、千尋は息をはいた。
そうだ。
そのとおりだ。
何を、気負っていたのだろう。一人で戦ってるんじゃないのに。
サザキの言に目を覚まされるような気持ちで、千尋は彼の顔をじっと見た。
「サザキ…」
「ん?」
「ありがとう」
ゆるゆると、力を振り絞って笑みを浮かべると、
彼は快活な笑みで、気にすんなと笑った。
その笑みがあんまりにも眩しくて、千尋は太陽みたいだわと思いながら
サザキの腕の中でゆっくり目を閉じたのだった。