どうしようねむい。
あぁねむいねむいねむいねむい。
ほんとうねむい、たおれこみたいねむいねむいねむい
なんでこんなねむいのか、とにかくとりあえずげんかいまで、ねむい。
思考の大半を、己の睡眠に対する欲求に割きながら、
それでもフィーリアは一見凛とした表情で廊下を歩いていた。
しっかりとした足取りで、いつもの様にまっすぐに背筋を伸ばし歩く。
その様子からは、疲れもたるみも、ましてや眠気など一点も見当たらない。
だが眠たかった。
もう4日も寝ていない。
どこぞの領主二人の所で暴動、自領には闇の者が出現し王都を襲い、
しかもそんな時に限って、ついでとばかりに教会がメンテナンスしている
水道が壊れてしまうわで、問題が続発。
その処理をこの4日間不眠不休でしていたのだ。 書いても書いても書類の束は減らないし、
飛ばしている密偵からは悪い情報しか流れてこないしで、
フィーリアは精神的にも肉体的にも疲弊しきっていた。
視線はうろうろと彷徨い、頭はぐらぐらと揺れ動く。
今すぐ廊下に倒れこんでしまいたい欲望を、理性で押さえ込んで
フィーリアは、体を引きずって努力と根性で歩いた。
王族たる自分が、不様に廊下で倒れこんで熟睡するわけにはいかない。
時折自分の手に爪を立て痛みで眠気を抑えながら、廊下をとろとろ歩いていると
ふと見知った青と白の毛並みが見えた。
「姫さんなにやってんだ?」
「オーロフ…」
純粋に不思議そうな顔をして、こちらを見ている自分の騎士の名を呼んで
フィーリアは立ち止まった。
限界まで眠たいが、ここで彼と話をすれば少しは目が覚めるかもしれない。
溺れる人間が藁を掴むような気持ちで、世間話をするべくフィーリアはオーロフの方へと向き直る。
「へやにかえっている途中なの。」
だが、彼の問いかけに答えようとすると、とろりといつもよりも間延びした喋り方になった。
やはり限界まで眠いらしい。
舌が回らない。
そんなフィーリアのいつもと違う喋りに、オーロフが不審そうな顔で首をかしげる。
「おい?」
その動作で、ふさりと彼の毛並みが揺れた。
その柔らかそうな動きに、思わずフィーリアは息を呑んで彼の毛を凝視した。
(さぞかし倒れこんだら、気持ちが良さそうな、毛並み。
ふさふさのふわっふわ…)
フィーリアの心の中で、ぐらりといけない欲望が鎌首をもたげた。
…倒れこんで気絶するように、寝てしまったらどうだろう、と。
なんだかんだと言いながら、見た目と口の悪さに反してお人よしで優しいオーロフのことだ。
そんなことをされてしまえば、部屋に連れて帰ってくれたりするんじゃなかろうか。
ふかふかふさふさの毛並みが味わえて、尚且つこれ以上廊下を歩かなくてもすむ。
くらりと甘い欲望が、頭の中に広がる。
「おい、姫さん?」
だがそんな馬鹿な考えは、オーロフに肩をつかまれた瞬間消えうせた。
「大丈夫なのか?」
「え、えぇ。大丈夫、ただ少し眠たいだけよ。」
くらりと傾ぐ頭を支えて、フィーリアはオーロフに返事をした。
危なかった…。
結構真剣に馬鹿なことを考えてしまったと、フィーリアはおかしくなっている
自らの思考回路に恐怖を覚える。
オーロフに肩をつかまれなければ、八割ぐらいの確立でやっていただろう。
やらなくてよかったと、肩を撫で下ろし、息を吐いたフィーリアは
未だオーロフに肩を掴まれていることに気がついた。
「オーロフ?」
名前を呼んで首を傾げると、オーロフがはっと気がついたように肩から手を外す。
瞬間、重心をそちらに預けきってしまっていたのか、ぐらりとフィーリアの体がよろけた。
「あ、え?」
間抜けな声をあげて、フィーリアは壁か床かに激突しそうになる。
だが、ぐるりとフィーリアの腰に手が回されて、頭を打つ直前に激突は阻止された。
危険だったことに今更ばくばくと高鳴る心臓を、宥めて一息ついたフィーリアは
ふっと、自分の体勢に気がついた。
オーロフの腕は腰に回り、抱きとめられた形になっていて、
オーロフの体がとても、近い。
「あ…」
「っ!」
そのことに思わず戸惑いの声が小さく漏らすと、オーロフは慌てた様子で
フィーリアのこけ掛けた体勢を戻して、腕を放した。
暖かい感触が離れてゆく。
なんともいえない気分を抱えて、ふかふかした腕が引き戻される動作を、
フィーリアがひとしきり眺めていると、そのままオーロフが
ギクシャクとした様子で片手を上げた。
「じゃ、じゃあ姫さん、俺、特訓があるから。」
「え、えぇ。気遣い感謝します、オーロフ。ありがとう。」
その言葉に、こくこくとフィーリアもギクシャクと頷く。 「いや、気をつけろよ。」
「え、えぇ。」
まるでぜんまい仕掛けの人形のような動作で、二人ともが
ぎこちなく別れ、オーロフが立ち去った後
フィーリアはオーロフが触れていた肩に、視線をやった。
身に纏っている青色のドレスに、薄っすらと白い毛がついている。
それを指で摘み取ると、フィーリアはふっと笑みを浮かべて
白色の毛を摘んだまま、部屋への移動を再開した。