すぐ傍に石ころがあったなら、蹴っ飛ばしても良いゴミ箱があったなら、
今のフィーリアならば、自分の持てる根限りの力を込めて蹴っ飛ばしていただろう。
何故ならフィーリアは今、かつてないほどにひっじょおおおおに機嫌が悪いからだ。
理由はいくつかある。
一つ目、心無い騎士によるフィーリアへの誹謗中傷
二つ目、どこからか紛れ込んできた猫に、書き上げた書類の何枚かが破かれた。
三つ目、工作に向かった騎士の失敗
四つ目、とどめに宰相ディクトールとの会談
一つ一つは、「仕方ないわね」という台詞と共に、控えめに口の端をあげたちょっと困ったような
笑みで終わらせたし、こんなに積み重ねられなければフィーリアとて、腹の底に何もかも
溜めたまま終わらせていただろう。
だが重なった。重なってしまったのだ。
一つことが起きるたびに、ぴしぴしとひび割れていた理性の堤防は
四つ目の不幸、常どおり全く無意味に嫌味ったらしい宰相との会談が終わった後、派手に決壊。
いくらかまだ残っている仕事と、止める執政官を振り切って、只今絶賛ぷち家出中である。
とはいってもまぁ、安全の問題から城内で、だが。
厨房、王座の間、テラスに倉庫、医務室から中庭を彷徨った後、鍛錬場に来たフィーリアは
滅多に人影のないそこに誰かが居るのを発見した。
鍛錬場の端から生えている木々に背を持たせかけて、一人で誰かが立っている。
平和ゆえに使われる頻度が少ない鍛錬場に誰かが居るのは、本当に珍しい。
誰かしら、と機嫌の悪さを一旦収めて、好奇心で近づいて
顔の判別が出来る距離まで来たところで、フィーリアはぴたりと足を止めた。
「レミー…」
男の名前を呟いて、フィーリアは音を立てないように一歩後ろに下がった。
一番最初から契約している、常に不気味なカラスを腕に乗せた悪名高き赤毛の騎士。
仲が悪いわけではないが、こういうときにはあまり会いたい相手ではない。
なにしろ性格が暗くて歪んで悪くて、主を主とも思っていないような彼だ。
傷口抉りこんでくれるに決まっている。
どこか別の場所に避難しよう。
踵を返して立ち去ろうとした瞬間、今までどこかあらぬ方向を見ていたレミーが顔をこちらに向けて、
視線ががっちりかち合った。
…目が合ったからには無視は出来ぬ。
今日はとことんついていない日らしい。
「……レミー、御機嫌よう。」
嫌々ながらに挨拶をすると、レミーはわざとらしいほど丁寧に頭を垂れた。
「フィーリア様、ごきげんよう。こんな所で何を?」
「散歩よ。」
「機嫌悪いみたいだね。」
「まぁそれなりに。」
隠すことすらせずに、ぶすったくれた声を返すと
くっくっとレミーは、それはそれは愉快そうな声を漏らした。
「ああ、今日は宰相殿との会談だったっけ。」
嫌味でも言われた?
その問いには、無言を持って答えとする。
わざわざ馬鹿正直に肯定する気にも、嘘をついて否定する気にもなれなかった。
今はこれの相手をしたい気分じゃない、早々に会話を切り上げてしまおう。
「…知ってた?中庭や庭園にも花は咲いているけど
ここにもそれなりに花が咲いているんだよ。」
「え。」
悪いけど、と言おうとした瞬間、レミーが実に面白くなさそうな顔で話題を切り出した。
唐突で、らしくない話題にフィーリアはあっけに取られる。
それを気にした様子も無く、レミーはほら、と自分の足元を指差した。
視線を動かして、指の先を見ると、そこには確かに花が咲いていた。
見たことのない花だった。
小さな黄色い花びらを身に纏い、いくつかの群れに分かれて群生している。
中庭や庭園に咲いている花のように、艶やかで華があるわけでもなく
見るものに感嘆の息を吐かせるようなそんな花ではないが
素朴で可愛らしく、妙に和む。
眺めていると癒されるような気がして、じぃっとその花を見ていると
レミーが屈みこんで足元の花を一輪手折った。
そしてそのまま無造作にこちらに差し出す。
「はい、フィーリア様。」
戸惑って見上げると、レミーはふっと表情を緩めた。
「別に噛み付くわけじゃないんだから。受け取ると良いと思うよ。」
手を伸ばして花を受け取る。
「…なんていう花なのかしら。」
小さくて黄色い花弁をしたその花の名前を、残念ながらフィーリアは知らない。
だが見ていると心和む愛らしい花の名前を知らないのは、酷く損な気がして尋ねてみる。
レミーはその問いにそっけなく首を振った。
「さぁ。僕はしらないね。」
目の前の相手が相手だから、聞くだけ無駄のような気はしていたが、本当に無駄だった。
あぁ、今日はこんなことばかり。
自分が望むことは何一つとして起こらない日。
鬱々とした気分に拍車がかかって、フィーリアの肩が無意識に、ほんの少し落ちる。
「…後で庭師にでも聞いたらどうかと思うよ。」
僅かの後、躊躇うような口ぶりで落とされた肩に声がかかった。
自分でも戸惑っているのか、眉が僅かによせられている。
あぁ、これはひょっとして。
ぱちぱちと二三度瞬きした後、フィーリアは彼の彼らしくない行動の意味を理解した。
ひょっとして、花といいこれといい、慰められているのだろうか。
「悪徳騎士なのに。」
「そんな呼び方は初めてされたな。」
呟いた言葉に返される声も、いつもよりもちょっとだけ、本当にちょっとだけ優しい気がして
ずるいわ、とフィーリアは心の中で叫ぶ。
何がずるいのかなんて知らないけど、本当にこれはずるい。卑怯だ。
「慰めてくれるなんて、思っても見なかった。」
「主が本調子でないと僕が面白くないだけさ。
早く普段の調子を取り戻して、謀を巡らせてくれよ、フィーリア様。」
照れも焦りもない、ごく普通の様子でレミーがそういうと
グァと腕に乗ったカラスが一声鳴く。
それを合図にしたかのように、レミーは去っていった。
後に残されたのはフィーリア一人。
視線を手に持った花に向けて、花をくるりと一回転させた。
花瓶にいけるには小さすぎる花を、どうしようか考える。
「押し花にでもしようかしら。」
ピンク色の台紙でも用意して、可愛らしい栞にでもしようかと結論を出して
エクレールに台紙を用意してもらうべく、フィーリアもそこから立ち去った。
機嫌はすっかり直っていた。
何だこの偽レミー。
正直喋り方があまり掴めません、イベント少ないよ