妖ノ宮が危惧したとおり、妖ノ宮に与えられた自由というのは
微々たる物であった。
衣食住は不自由なく与えられるが、外に出歩くことも出来ず
庭に出ることすら渋られる。
「これではまるで籠の鳥だわ」
たしかに、四天相克を勝ち抜くためには、遺児は必要不可欠な代物。
その遺児に危険の及ばぬように、神経を使い
危険から遠ざけるのは当然のことといえよう。
しかしこれはいくらなんでも行き過ぎではないだろうか。
疑問に思う妖ノ宮だが、ここは赤月本部。
五光夢路の意思に逆らうものなど居ない。
彼女は外の様子も分からず、部屋の中に篭もることを余儀なくされた。
…そんなある日のことである。
妖ノ宮の部屋の戸が珍しく開けられた。
…やはり是非を問うこともせずに、だが。
開けてもいいか、と問うのは城だけの慣習なのかしら…。
半ば諦めの混じった気持ちで、戸のほうを見やった妖ノ宮の目に映ったのは
深い青色の髪をした女の姿だった。
何度か、五光夢路の傍で見たことがあるような。
なんという名前だったかしら、と首をかしげた妖ノ宮に
女ははたと気がついた様子で口を開く。
「そういえば、初対面だったね。アタシは凪。
ついておいで、アンタの出番さ」
こちらに挨拶もさせずに、女はさっさと歩き出す。
「…頭に部下は似るのかしら」
誰も彼も人の話を聞かない、と舌打ちしたいような気分で
妖ノ宮は立ち上がり、凪の後を追いかけた。
比較的ゆったりと歩いていた彼女には、容易に追いついた。
話しかけようかどうしようか迷って、彼女のほうを見ると目があう。
しかし、凪はすぐに妖ノ宮から視線を外すと、
一つの部屋の前で立ち止まった。
「開けるよ、夢路」
凪が了解を求めると、すぐに応と返事があった。
するりと戸を引くと、部屋の中には、夢路と、見知らぬ男が座っていた。
案内されるまま、奥の上座へと座ると、見知らぬ男は平伏する。
「お初にお目にかかります妖ノ宮様。
私は神流河に仕えております辰親と申します。
お目通りがかない光栄にございます」
「…面を上げなさい」
何一つ説明をされぬままいきなりこれか。
ため息をつきたいような気分で、妖ノ宮は鷹揚に辰親に手を振った。
時は四天相克、力ある四人の覇乱王の重臣達が
神流河をかけて争う時代。
しかし、その大義名分として担ぎ上げられた遺児なしに、
彼らの天下はかなわない。
なぜならば、国を背負うのに足らない彼らは四人の幼い遺児たちを
君主として立て、その裏で思うままに国を操ろうとしているからだ。
だからして、諸侯たちへの働きかけの席に、遺児は必要不可欠である。
いくら皆『建前の存在』だと分かっていても、
君主として立つのは遺児なのだから。
そういうことで呼ばれた妖ノ宮であったが、
顔見せ以外に彼女に求められる役割は無い。
早速とでもいうように辰親が頭を上げ、夢路のほうへと向き直ると
もはや彼女のすることはそこには無かった。
「して、夢路殿。赤月による妖からの身の保障というのは
本当の話なのでありますかな」
「あぁ。僕に従うと約束すれば、お前の領地を守ってやろう。
ただし、従わないのであれば…」
夢路が言葉を区切った瞬間、場の空気が変わった。
背筋を震わすような恐ろしさが、室内を支配する。
それに顔を青ざめさせながらも、辰親が震える唇を開く。
「そ、それにつきましては、この場で決めることは…なんとも。
領地に帰って、家の者達を相談させていただきたく…」
「………へぇ」
「そ、そそ、そこでですね、夢路殿に相談がありまして
わ、私どもの領地で取れる金のことにございますが、
出た量の半分を、治めておりますがこれではあまりにも。
そこで…ご相談をさせていただきたきたく参ったしだいであります。
夢路殿が、妖ノ宮様を擁立され、四天相克を勝ち抜いた折には
納める金はいかほどになるのか、参考までにお聞かせ願いたいと。
それいかんによって、家のほうでの反応も違ってまいりましょう」
「………ふぅん…」
気の無い様子で夢路が生返事をした。
「じゃあ、まぁ…いいんじゃないの」
「は?」
「何割が良いわけ」
どうでも良さそうに、さっくりと夢路が放った一言に、辰親も妖ノ宮も目を見開いた。
何割が良いとは…。
とても政りごとの席での発言とは思えない。
呆然とする妖ノ宮だったが、辰親が徐々に喜悦の笑みを浮かべて
口を開こうとするのに気がつき、はっと背筋を伸ばす。
「四割五分、がよろしいかと思いますよ、夢路」
いけないと、思った瞬間にはもう、言葉が口を飛び出していた。
辰親と夢路の視線が妖ノ宮に集まる。
それにさっと動悸を治めて、妖ノ宮は二人に向かって
ゆっくりと噛んで含むように言を紡ぐ。
「きっちりと調べをした上で四割五分。
いかがですか、辰親様」
「し、調べを?!」
「なにか不都合でも?」
頓狂な声を上げた辰親をちらりと上目で伺うと
彼は弾かれたように首を振った。
「い、いえいえいえいえ、とんでもない!!
四割五分、四割五分、よろしゅうございます」
「…へぇ、良いんだ?じゃあ、お前は僕の陣営。
そういうことで、良いね」
「は、は……はい。是非に…」
口から出た言葉は取り戻すことは、決して出来ない。
動揺し、正気を失ったことを悔やむように
辰親は俯いたまま、夢路と妖ノ宮に向かって頭を下げたのだった。
「では、私はこれで失礼いたします」
辰親が部屋を退出し、赤月の者達が彼を送り届けて行く。
それを見送った後、部屋には妖ノ宮と夢路が取り残された。
もう、帰っても良いのだろうか。
部屋に落ちた重苦しい沈黙は耐えがたく、そわそわと腰を浮かしかけた
妖ノ宮だったが、その途端夢路が顔を向けて喋りかけてきた。
「口を挟めるとは思わなかったな」
「勝っていただかなくては困りますから」
意外だったと、言外に語る様子に、妖ノ宮はむっつりと顔をしかめた後
苦々しい言い方で、首を振る。
あそこで口を挟まなければ、良いように舐められてしまっていただろう。
それは、困る。
しっかりと諸侯たちを従えてもらわなくては、
この戦いを勝ち抜けない。
…擁立されてしまった以上、勝たなければ待っているのは
対立候補の旗頭への始末だろう。
勝利者が、妹ならば分からないが。
妖ノ宮は、死にたくない。
「へぇ、負けたら即死亡みたいなもんだからなあ。
命は惜しいか」
「…え、えぇ」
含みがあるような物言いに、怯みながら答えると
気の無い様子で夢路は頷く。
「まぁ、そうだな。負けるのは気に食わない」
顎に手を当て、いずこかを見る夢路に、
だから勝たなくては困るのだと、心の中で突っ込む。
なぜ、この人はこんなにも呑気なのだろう。
まるで四天相克など、どちらでも良いように。
「でも、あれだ」
その言葉に顔を上げると、表情の無い顔で
夢路がこちらを見下ろしていた。
「…餓鬼の声を聞くと、やっぱ、苛々するな…」
ぞわっと、総毛立つ。
口の中が、妙に乾き、貼りついたように言葉が出ない。
そんな妖ノ宮に、夢路が手を伸ばしかけたその瞬間
「夢路!!」
凪の声が部屋に響いた。
続けて、二度、三度。
声には次第にいらつきが混じってきている。
「っち、なんだよ、妖でも出たかぁ?」
ぼやきながら、夢路は妖ノ宮に背を向け部屋を出て行った。
「……はぁ……」
しばらくしてから、肺の中の空気をすべて吐き出して
妖ノ宮は額に手を当て、天井を仰ぎ見る。
部屋は退屈だが…安全なのかもしれない。
赤月本部に来て初めての外出で、部屋に閉じ込められる理由の
一端を思い知った妖ノ宮だった。
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