さて、絶賛風邪っぴきのまま、サザキのところに遊びに行った千尋であるが
終わったあと部屋に直帰して、おとなしく寝ている気はさらさらなかった。
それはなぜかといえば、常世の国の皇子アシュヴィンとの
打ち合わせがあるからだ。
近く三週間後、千尋たちの軍は、この先にある常世の国の砦を
襲撃することになっている。
広い橿原へ続く街道に近い、その砦を奪取すれば、
この先の兵站業務は、滞りなく進むに違いない。
というより、そこを奪取しなければ、
補給路は長く伸び、叩かれてしまうことは必至だった。
これは今後にもかかわってくる、重要な作戦である。
それゆえ、一週間後に最終的なことを確認決定する
軍議が開かれることにはなっているのだが
それまでにつめておくことはいくらでもある。
そして、そのつめておくことのうちの幾らかは、
常世の頭であるアシュヴィンと、中つ国の頭である千尋に一任されているのであった。

こんこんっとノックをすると、「入れ」というアシュヴィンの声が返ってくる。
かちりと、重い扉を開けると、
そこには中央に置かれたテーブルの前に座るアシュヴィンと
その横に立つリブの姿があった。
「時間ちょうどだな」
言って、アシュヴィンは部屋に入った千尋に
自分の対面に座るよう視線で促した。
「姫、こちらに」
リブに椅子を引かれ、千尋も素直にそこに腰掛ける。
すると、アシュヴィンは前置きもなく
「では今回の議題、先発隊についてだが」
と切り出した。
相変わらず、戦事になると、無駄を嫌い迅速を好む男である。
しかし千尋もそれは重々承知だったので
気にすることもなく頭の中を切り替える。
今回の戦においては、まず陽動として先発隊が出撃、
砦から敵兵が出てきたところを、本体が襲撃
四方から砦を攻めるという策がとられていた。
実に、堅実な策である。
そしてその堅実な策の要は、陽動を行う先発隊にあった。
この先発隊の構成いかんで、行う戦の勝敗が決するといっても過言ではない。
「それについてはこちらも考えてきたのだけど」
と、姿勢をただし、千尋は口火を切った。
風早からもらった、現代産のど飴のおかげで、
千尋の声は、平常時とあまり変わらない。
現にサザキのところに遊びに行ったときも、
彼も、彼の部下たちも誰も気がついた様子はなかった。
このまま風早以外、ばれずになんとか治癒できるだろうと
安心して考えてきた先発隊人員案を話す千尋。
その安堵ゆえに、千尋の声を耳にしたリブがわずかに表情を動かしたのに
気がつくことはなかった。

「もう日も暮れる、か。今日のところはこれまでだな」
窓の外を見たアシュヴィンが、会議の終わりを告げる。
それに気の抜けた千尋はほうっと息を吐き
出されたまま手をつけていなかった茶を、一気に飲み干した。
先発隊については、早々に決まった。
あとは軍議の際に提出する隊の配置、補給路の確保、
それから万が一のときの逃走経路についてと議題は移り
打ち合わせを終わろうかというころには、
高かった陽は、もう半分沈んでいた。
アシュヴィンが案を出し、リブがそれの補正をして千尋が口を挟む。
そうして出来上がったものは、比較的良い出来になったといえるだろう。
自画自賛だが。
んぅーっと、千尋は背伸びをすると
立ち上がり、衣のすそを手で直した。
「帰るなら、送る」
「えぇ、そんな」
おんなじ船の中だよ?と言いかけた千尋に有無を言わせず
アシュヴィンが千尋の腕を取る。
どうしようかと千尋は迷ったが、
こんなところで抗っても仕方がない。
申し出をありがたく受けることにして
千尋はアシュヴィンに向かって、こくんと頷く。
それに満足そうに目を細めたアシュヴィンは、
使っていた机を片付け始めたリブを振り返った。
「ついでに、兵たちの様子も見てくる。
帰りは遅くなるぞ」
「や、それはかまいませんが殿下」
そこで、いったん言葉を切ると、リブは千尋の顔に視線を移し、
少々お待ちくださいといって、部屋の奥に引っ込んだ。
しばらく、がさがさという何かを漁る音が響き、
戻ってきたリブの手には、琥珀色に満たされた瓶があった。
それを手渡され、受け取ると、瓶はずしりと重たい。
「や、そういえばですね、この間蜂蜜をもらったことを思い出しまして。
でも、殿下も私も甘いものは好みませんし。
そこで、姫が甘いものを好んでいたことを思い出しまして。 よろしければ」
「あ……うん。リブ、ありがとう」
「や、とんでもありません。かえって、受け取っていただくこちらがお礼を言う立場ですので」
そんなことないわ、と呟いて、ぎゅっと、蜂蜜瓶を握り締める。
千尋は甘いものが好きだ。死ぬほど好きだ。
それなのに、こちらに帰ってきてからは、
気軽には食することの出来なくなった甘いもの。
それの詰まった瓶だと思うといとおしくて、
千尋の顔は自然とほころんだ。
「ありがとう、大切に使うわ」
「えぇ、お茶に入れたりしてください。
蜂蜜は…のどに優しいんですよ、姫」
穏やかな声で薦められ、千尋はそうするわと素直に頷く。
もう一度ありがとう、とリブに言うと
アシュヴィンが笑いを含んだような声でもう行くぞと千尋に声をかけた。
それに従い廊下に出ると、昼から夕方、そして夜に変化を遂げる際の
しぃんとした空気が肺に満ちた。
それに驚いたのか、こんっと咳き込みそうになったのを
あわてて口を押さえてとめると、
千尋は部屋の中のリブに手を振って、扉を閉める。
その動作を待って、先に廊下に出ていたアシュヴィンがマントを翻し、
千尋もその横に並んだ。
釆女や、兵たちがのんびりと歩き、
夕食の良いにおいが風に乗って運ばれる。
夕方の、赤い日差しが天鳥船に差込み、
穏やかな空気が船を満たしていた。
これを、この穏やかさを豊葦原全土に広めねばならない。
中つ国だけではない。
常世にも必ず。
そのためにはまず風邪を治さないといくまいと、
再びざらざらとしだした喉に触れかけた千尋の頭に、
『のどに優しいんですよ、姫』
ふっと、リブの声が反芻される。
思い返してみれば、のどに優しいは一拍おかれ
なんだか強調されていたような…?
千尋はリブのいるはずの、アシュヴィンの部屋を振り返り
次に喉を押さえる。
サザキのところにいったときも、アシュヴィンと打ち合わせていたときも
誰も何も言わなかった。
だから、普通だったはず、それなのに。
考えすぎだろうか。
内心で唸った千尋に、アシュヴィンが立ち止まり振り返る。
「どうした」
「え、いや、ううん」
首を振って、いつのまにか開いていた距離を詰めると、
アシュヴィンはまた歩き出す。
それと同じ速さで歩きながら、千尋はもう一度だけ
アシュヴィンの部屋を振り返り、抱いている蜂蜜瓶に目を落とす。
とぷりと、琥珀色の液体が瓶の中で小波を立てた。






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前半を見て、それからほかのサイト様の可愛さを見ると、
何がしたいんだろうって思います。